はじめに
子どもが小さい頃、よく聞かれていた言葉。
「あれなーに?」
「これなーに?」
何度も何度も聞かれて、
正直ちょっと大変だなと思うこともありました。
でも今、ふと思うんです。
あの頃の“質問の大変さ”は、まだ優しかったなって。
小さい頃は「答えればよかった」
幼い頃の子どもの質問は、シンプルでした。
- 空に浮かぶ雲を見て「あれなに?」
- 工事現場を見て「これなに?」
- 動物を見て「なんで?」
もちろん、毎回説明するのは大変。
でも基本的には、
知っていることをそのまま伝えればよかったんですよね。
正解もわかりやすいし、
少しごまかしても何とかなったりする。
あの頃の親の役割は、
いわば「世界の解説者」でした。
小学生になると「教える難しさ」に変わる
子どもが小学生になると、
質問の質がガラッと変わります。
- 「これなんでこうなるの?」(勉強)
- 「どうやったらできるの?」(スポーツ)
- 「なんでうまくいかないの?」(挑戦)
ここで気づきます。
あれ、これ…普通に難しいぞ。
答えを知っているだけじゃ足りない。
理解して、分解して、伝えないといけない。
しかも、子どもに分かる言葉で。
これはもう、
ただの説明じゃなくて「教える力」が必要になってくる。
正直、親もわからないことが増えてくる
さらに正直な話をすると、
親自身もよく分かっていないこと、増えてきませんか?
- 新しい勉強内容
- スポーツの細かい技術
- デジタルやSNSの世界
例えば、X(旧Twitter)の使い方ひとつとっても、
「これで合ってるのか?」と思いながらやっている部分もある。
子どもに教えるどころか、
むしろこっちが教えてほしいと思う瞬間もある。
「教える親」から「一緒に考える親」へ
ここでひとつ、考え方が変わりました。
それは、
**「全部教えられる親じゃなくていい」**ということ。
むしろ、
- 分からないことは一緒に調べる
- うまくいかない理由を一緒に考える
- 「パパも分からない」と素直に言う
こういう関わりのほうが、
子どもにとっても自然なんじゃないかと思うようになりました。
親が完璧な先生である必要はない。
一緒に学ぶパートナーでいい。
おわりに
「あれなーに?」と聞かれていたあの頃。
説明するのが大変だと思っていたけど、
今振り返ると、
あれはあれでシンプルで、優しい時間だった。
そして今は、
教える難しさにぶつかる毎日。
でもそれはきっと、
子どもが成長している証拠。
そして同時に、
親もまたアップデートされている途中なんだと思います。
ちなみに
Xの使い方は、いまだに正解がよく分かっていません🍡


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