七夕の短冊が教えてくれた「子育ては共同体で育てるもの」|アドラー心理学×3児パパの感謝

今日は七夕🎋 この日になると毎年、幼稚園のころから積み重なってきた短冊の記憶が ふわっと蘇ってきます。 長女(小6)、長男(小4)、次女(小2)の3人が まだ小さかったころ、七夕の時期になるとあちこちで短冊を書いてきました。 子育ての気づき・日常

七夕になると蘇る、短冊の記憶

今日は七夕🎋

この日になると毎年、幼稚園のころから積み重なってきた短冊の記憶が
ふわっと蘇ってきます。

長女(小6)、長男(小4)、次女(小2)の3人が
まだ小さかったころ、七夕の時期になるとあちこちで短冊を書いてきました。

幼稚園、児童館、市民会館、市民プール、
ショッピングセンター、動物園……

「どれだけの場所で短冊を書いてきたんだろう」と、
今日改めて思います。

そしてそれぞれの場所で、
誰かが笹や竹を用意してくれていた。
誰かがにこにこしながら見守ってくれていた。

この記事では、七夕の短冊をきっかけに気づいた
「子育ては共同体で育てるもの」ということを、
アドラー心理学の視点から考えます。


七夕の短冊は、思い出の地図

あちこちで書いてきた短冊たち

子どもたちが書いてきた短冊の場所を
思い返すだけで、その場その場の光景が浮かんできます。

幼稚園の廊下に飾られた笹に、
ひらがなで一生懸命書いた短冊。

児童館の七夕コーナーで、
スタッフさんに手伝ってもらいながら書いた短冊。

ショッピングセンターの入り口の笹竹に、
買い物の帰りにちょろっと書いた短冊。

動物園で書いた短冊には
「ライオンになりたい」と書いてあったような……(笑)

それぞれの場所に、それぞれの「その年の子ども」がいた。
短冊は、子どもたちの成長の記録でもありました。

竹を用意してくれた近所の方の話

お家でも短冊を作ったことがあって、
竹をどこで手に入れるか困っていたとき、
近所の方が「うちの竹、切ってあげるよ」と声をかけてくれました。

特別なことではなかったかもしれない。
でも、そのやさしさが今でも温かい記憶として残っています。

子育ての記憶の中には、
こういう「誰かのさりげない親切」がたくさん混ざっています。

知らない方からの「かわいいですね」の一言。
電車の中で席を譲ってくれたおじさん。
泣いている末っ子をあやしてくれたスーパーの店員さん。

振り返ると、本当にたくさんの方に
支えてもらいながら子育てをしてきたんだな、と感じます。


アドラー心理学が教える「子育ての共同体感覚」

「子育ては共同体でするもの」という視点

アドラー心理学の重要な概念「共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)」は、
「自分はつながっている」「一人じゃない」という感覚のことです。

アドラーは、人間の幸福感はこの共同体感覚の中にあると考えました。

子育ては、その最たるものだと感じます。

家族だけでやっているように見えても、
幼稚園の先生、児童館のスタッフ、地域の方、近所の人。
たくさんの共同体に支えられながら、子どもは育っていきます。

「子育ては親だけがするもの」という思い込みを手放したとき、
周りのサポートへの感謝が見えやすくなってくる気がします。

子どもは「村全体」で育つ

「子どもは村全体で育てるもの」というアフリカのことわざがあります。

現代の日本では、核家族化が進んで
「親だけで子育てしなければ」というプレッシャーを感じる場面も多い。

でも実際には、子どもたちは出会う大人全員の影響を受けながら育ちます。

幼稚園の先生の言葉。
児童館で出会ったお兄さんお姉さん。
動物園のスタッフさんの笑顔。
近所の竹を分けてくれたおじさんの優しさ。

これらが全部、子どもたちの記憶と心の中に
積み重なっていっているのだと思います。

感謝は、共同体感覚を育てる

アドラーは「貢献感」を幸福感の根っこに置いています。

「自分は誰かの役に立てている」という感覚が、
人を幸せにするという考え方です。

竹を分けてくれたあの方も、
「あの家族の役に立てた」という小さな貢献感を
感じてくれていたのかもしれない。

そして私たちも、誰かの子育てを
さりげなく支える側になれることがある。

感謝は、共同体をつなぐ大切な接着剤だと思っています。


3児パパが七夕に振り返る「子育ての感謝」

長女の短冊の変遷

長女(小6)が初めて自分で短冊に書いたのは、ひらがなで
「おひめさまになりたい」だったと思います。

それがいつの間にか
「クラスの友達と仲良くいられますように」に変わり、
今年は何を書くんだろうと楽しみにしています。

願い事の変化が、そのまま長女の成長の記録です。

長男の「面白い短冊」の数々

長男(小4)は毎年、予想外の願い事を書いてきます。

「でんしゃのうんてんしゅになりたい」
「ぼくがかなしいときにおかあさんがそばにいてほしい」
「ユーチューバーになりたい」

脈絡がないようで、
その年その年の長男の「本音」がにじんでいる気がして、
毎年こっそり笑いながら読んでいます。

次女の今年の短冊が楽しみ

次女(小2)は、今年初めてひとりでちゃんと短冊を書けるようになりそうです。

「何書くの?」と聞いたら
「まだひみつ!」と言われました。

その「ひみつ!」という顔が、もうすでに可愛かった。


七夕の短冊から気づく「子育ての豊かさ」

短冊は「成長の記録」

毎年の短冊を見返すと、
その年の子どもがそのまま蘇ってきます。

字の変化、願い事の変化、夢の変化。

「大きくなったな」と感じるのと同時に、
「あの頃もよかったな」という懐かしさも来る。

短冊は、子育ての歴史そのものです。

七夕は「感謝を思い出す日」にもなる

七夕は、子どもの願い事を聞く日でもありますが、
私にとっては「子育てを支えてくれた人たちへの感謝を思い出す日」にもなっています。

竹を分けてくれた方。
幼稚園の先生たち。
児童館のスタッフさんたち。
あちこちで笑顔で接してくれた大人たち。

あの方たちがいなければ、今の3人はいない。
そういう気持ちで、今日の七夕を過ごしています。

子どもたちの「今年の願い」を大切に受け取る

毎年の短冊が積み重なるように、
子育ての一日一日が積み重なっていきます。

今年の七夕も、3人の願い事をちゃんと聞いて、
大切に受け取りたいと思っています。

何年後かに「あのときの短冊、こんなこと書いてたよね」と
笑い合える家族でいられたなら、
それだけで十分です。


短冊の数だけ、支えてもらった記憶がある

七夕の短冊を見ながら気づくこと。

子育ては、家族だけでやってきたのではない。
たくさんの場所で、たくさんの人に支えてもらいながら、
子どもたちは今日まで育ってきた。

アドラーが言う共同体感覚は、
こういう「つながりの中で育てられている」という実感から生まれてきます。

今年も短冊に願いを込めながら、
子育てを支えてくれたすべての方への感謝も、
そっと星に届けたいと思います🎋


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