「親になる=自分の人生が終わる」という呪縛
若い世代の夫婦の子育てを見ていて、
気づいたことがあります。
以前は、子どもができることで「失うもの」の話が
多く語られていた気がします。
旅行に行けなくなる。
趣味の時間が減る。
仕事に制限が出る。
自分の時間がなくなる。
「親になること」が、何かを諦めることとセットで
語られていた。
でも最近見ていると、
仕事も大切にしながら子育てしている親。
趣味を続けながら子どもと楽しんでいる親。
夫婦それぞれの時間を持ちながら、家族の時間も豊かにしている親。
「全部諦めて親になる」ではなく、
「自分の人生に、親という新しい自分が加わっていく」
そういう子育てをしている人たちが増えている気がします。
この記事では、アドラー心理学の「目的論」という視点から、
「親になる」ことの新しい意味と、
自分らしく子育てをすることの幸福論を考えます。
「親になる=諦める」という思い込みはどこから来るのか
「ゼロサムゲーム」的な子育て観
「子育てに時間を使えば、仕事や趣味が減る」
この考え方は、時間や体力を「有限のパイ」として見て、
子育てと自分の人生が奪い合っているという前提に立っています。
確かに、時間は有限です。
でもこのゼロサム的な見方が強くなると、
「子育てをするほど自分を失う」という感覚につながりやすくなります。
「自己犠牲」が「良い親」というイメージ
「子どものためなら自分を犠牲にできる」が
美徳として語られてきた文化があります。
「自分より子どもを優先する」ことが
「愛情の深さ」として評価されてきた。
でもこの自己犠牲モデルは、
長期的にはサステナブルではありません。
自分を削り続けた先には、
疲弊して余裕のない親が残る。
余裕のない親は、子どもへの関わりの質が下がります。
これは親を責めているのではなく、
そういう仕組みだということです。
「失うもの」より「得るもの」が語られてこなかった
「親になったら○○ができなくなる」は多く語られても、
「親になったら○○に出会える」はあまり語られてこなかった。
親になることで生まれる「新しい自分」の話が、
もっとあっていいと思います。
アドラー心理学が教える「目的論」と親になること
「原因」より「目的」に目を向ける
アドラー心理学は「目的論」の心理学です。
「親になったから○○を失った(原因)」ではなく、
「親になることで、どんな自分に出会えるか(目的)」に
目を向けます。
「諦めた結果として親になった」ではなく、
「親になることを選んだ先に、どんな人生があるか」という
視点で子育てを捉え直す。
これだけで、子育ての意味が変わってきます。
「自分の人生に親が加わる」という感覚
アドラーが大切にする「今ここ」の幸福は、
「何かを諦めた末の今」ではなく、
「今の自分がここにいる豊かさ」です。
「仕事をやっている自分」「趣味を楽しんでいる自分」
「子どもと笑っている自分」「パートナーといる自分」
これらは、奪い合っているのではなく、
すべて「今の自分」の一部です。
「親になった自分」が加わることで、
自分という存在がより豊かに、より立体的になっていく。
「機嫌よくいること」が最高の親
アドラーが言う「共同体感覚」——
「つながっている」という感覚——は、
余裕のある状態で育まれやすい。
機嫌よくいられる親が子どもに与える安心感は、
疲弊して余裕のない親が与えるものとは全然違います。
「自分を楽しみながら親でいること」が、
子どもへの最高の関わり方になっていきます。
「親になって出会えた自分」について
子どもの成長に感動できる自分
3人の子どもを育てていて、
「あれ、いつのまにこんなに」と感じる瞬間が
何度もありました。
ハッピーセットを卒業した2人を見たとき。
サマーキャンプから少したくましく帰ってきたとき。
「わかったって!」と言いながら自分で宿題をやっていたとき。
こういう瞬間に胸が動く自分は、
親にならなければ出会えなかった自分です。
「大丈夫かな」と心配しながら送り出せる自分
長女がお祭りに友達と出かけるとき、
「大丈夫かな」と思いながら「楽しんできてね」と言えた。
サマーキャンプに2人を送り出した日の夜、
少し静かなリビングで「ちゃんとやっているかな」と思いながら、
信じて待っていた。
「信じながら心配する」という
複雑な感情に向き合える自分は、
親になって出会えた自分です。
「次があるよ」と言える自分
長男が水泳のタイムで悔し涙を流したとき、
「悔しかったね」と受け取って「次があるよ」と言えた。
こういう「受け取る力」「励ます力」は、
子どもとの関わりの中で育ってきたと感じています。
子どもが育てているのは、
子ども自身だけじゃない。
親の「受け取る力」も育ててくれている。
「自分らしく親でいる」ための4つの視点
視点1:「諦めた」より「選んだ」という言葉を使う
「子どもができたから趣味を諦めた」ではなく、
「今はこの時間を子どもとの時間として選んでいる」。
言葉を変えるだけで、
自分の行動の主体が戻ってきます。
「諦めた」は受け身で、「選んだ」は主体的。
アドラーが言う「自分の人生を生きる」は、
言葉の選び方からも始まります。
視点2:「親でいる自分」と「それ以外の自分」を大切にする
仕事でいきいきしている自分。
趣味を楽しんでいる自分。
パートナーといる自分。
子どもたちと笑っている自分。
どれも「今の自分」の一部で、
どれかを犠牲にする必要はない。
「親でいる自分だけ」を全面に出さなくていい。
「親でもある自分」として、多面的に生きることが、
子育ての幸福感を高めます。
視点3:機嫌よくいることを「ずるい」と思わない
「自分が楽しんでいる間に子どもが…」という
罪悪感を手放す。
機嫌よくいられる親でいることは、
子どもへの最高のギフトです。
「自分が機嫌よくいること」が「子どものため」にもなる——
この視点が、罪悪感をなくしてくれます。
視点4:「親になって出会えた自分」を探す
一度、「親になったから失ったもの」ではなく、
「親になったから出会えた自分」を書き出してみる。
感動できる自分、
心配しながら待てる自分、
「次があるよ」と言える自分、
子どもの笑顔に元気をもらえる自分。
きっといくつも出てくる。
その「出会えた自分」を見ると、
「親になる」ことの意味が少し変わってきます。
「新しい自分との出会い」としての子育て
「親になる=自分の人生が終わる」ではなく、
「親になる=新しい自分との出会い」。
仕事も趣味も自分の時間も大切にしながら、
子どもとの時間も楽しむ。
そういう子育てをしている人たちが増えていくことが、
子どもにとっても、親にとっても、
豊かな未来につながると思っています。
アドラーが言う「今ここ」の幸福は、
「諦めた先にある今」ではなく、
「自分らしく生きているこの今」の中にあります。
「機嫌よく、自分を楽しみながら親でいる」——
それが、このシリーズでずっと伝えてきた
「機嫌の良い親の設計図」の、
一番の核心かもしれません。


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