何年も話したことがなかった親御さんと、自然と会話が始まった
小学生3人の親をしていて、
最近気づいたことがあります。
子どもが習い事を始めると、
同じ学校の親御さんと話す機会が増える。
今まで何年も、授業参観や運動会で顔を合わせていた。
でも、ほとんど話したことはなかった。
それが、同じ習い事になっただけで、
「最近どうですか?」「うちの子、最近やる気が出てきて」
なんて会話が自然と始まった。
何年もかかって縮まらなかった距離が、
「同じ習い事」というひとつの接点であっさり縮まった。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
「同じ境遇」が人との距離を縮める仕組みを考えます。
なぜ「顔見知り」止まりの関係が生まれるのか
「場を共有しているだけ」では距離は縮まらない
授業参観、運動会、懇談会。
同じ場所に何度も集まっていても、
「話したことがない」という関係が続くことがあります。
「同じ場所にいる」だけでは、
人との距離はなかなか縮まらない。
「共通の話題がない」「話しかけるきっかけがない」
「何年も話してこなかったから今更…」という壁が
そのまま続いていきます。
「きっかけ」がないと最初の一歩が踏み出せない
人間関係の距離を縮めるには、
「最初の一歩」が必要です。
でもその一歩には、「理由」や「きっかけ」が必要なことが多い。
「何年も話したことがない人に、急に話しかける」のは
大人にとってもハードルが高い。
「特別な理由がないと話しかけにくい」という状態が、
顔見知り止まりの関係を長引かせます。
なぜ「同じ習い事」で距離が縮まるのか
「共通の話題」が最初の一歩を生む
習い事に通うようになると、
「共通の話題」が自然に生まれます。
「最近どうですか?」
「うちの子、やっとできるようになって」
「先生が言ってたこと、わかりました?」
子どもの習い事という「共通の話題」が、
最初の一歩を踏み出すための「理由」を自然に作ってくれます。
「同じ境遇」が「仲間」という感覚を生む
「子どもが同じ習い事に通っている親」という
共通の立場が、「仲間感」を生み出します。
同じ送迎の大変さを知っている。
同じ月謝を払っている。
同じ発表会の緊張感を知っている。
「同じ境遇にいる」という感覚が、
「私たちは同じ船に乗っている」という
つながりの感覚を生み出します。
「繰り返し会う」が関係を育てる
習い事は、毎週同じ時間に顔を合わせる機会を作ります。
「また会う」という繰り返しが、
少しずつ関係を育てていく。
一度話したことが次に会ったときの会話につながって、
また次の週に続いていく。
「繰り返し会う」という仕組みが、
関係の熟成を支えてくれます。
アドラー心理学が教える「共同体感覚」と人間関係
「同じ仲間」という感覚が距離を縮める
アドラー心理学の「共同体感覚」——
「自分はここにいていい、つながっている」という感覚——は、
「同じ境遇を共有している」という体験から育まれます。
「同じ習い事に子どもを通わせている親」という
共同体への所属感が生まれたとき、
「一緒にいていい」という感覚が自然に生まれる。
その感覚が、「最近どうですか?」という言葉を
自然に引き出してくれます。
「共通の話題」がつながりの橋になる
アドラーが言う「共同体感覚」は、
「共通のものを持っている」という体験から育ちます。
子どもの習い事という共通の体験が、
親同士のつながりの橋になる。
これは、子どもの友達関係と同じ構造です。
「共通の好きなものがある」「同じゲームをやっている」
というだけで子どもの距離が縮まるように、
大人も「同じ境遇にいる」というだけで
距離が縮まります。
大人も子どもも、「共同体感覚の作り方」は
同じなのかもしれない。
親のつながりが子育ての「共同体」を豊かにする
親同士がつながることで、
子育てという営みが「一人の孤独な作業」ではなく、
「共同体で支え合うもの」になっていきます。
「あの子のお母さんに聞いてみよう」
「先輩のパパに相談してみようかな」
こういったつながりが生まれることで、
子育ての孤独感が薄まっていきます。
3児パパが経験した「習い事が広げた人間関係」
「会釈だけの関係」が変わった瞬間
何年も「会釈するだけ」だった親御さんと、
子どもが同じ習い事を始めた翌週から
自然と会話が始まりました。
「うちの子、最初は緊張してたみたいで」という
一言から始まって、
「そうですよね、うちもそうで」という流れになった。
「この人と話せた」という体験が、
次の週の「また話せる」につながっていった。
「送迎の待ち時間」が関係を育てた
習い事の送迎で待つ時間は、
親御さんと自然に話せる時間です。
最初は「お天気ですね」くらいの会話が、
数週間経つと「先週の発表どうでしたか?」になって、
数ヶ月経つと「うちの子、最近こんなことがあって」になっていく。
「繰り返し会う」という習い事の仕組みが、
関係の深さを少しずつ育てていきました。
子どもの習い事が、親の習い事になった
習い事の待ち時間に話せる親御さんができてから、
その時間が少し楽しみになりました。
「子どもの習い事の時間に、親も人間関係を育てている」
そういう意味では、
子どもの習い事が、親の「人とのつながり方を練習する場」に
なっているのかもしれない、と思いました。
「同じ境遇」を活かして人間関係の距離を縮めるための3つの視点
視点1:「最初の一言」のハードルを下げる
「何年も話したことがないから今更…」という気持ちを手放して、
習い事という「共通の話題」をきっかけに
一言話しかけてみる。
「うちの子も最初は緊張してたみたいで」
「先週の練習、どうでしたか?」
この一言が、長年縮まらなかった距離を
あっさり変えてくれることがあります。
視点2:「同じ境遇」を意識して探す
人間関係の距離を縮めたいとき、
「同じ境遇にいる」という共通点を意識して探す。
同じ学年の親、同じ習い事の親、
同じ地域に住む親。
「共通の境遇」があるだけで、
話しかける理由が生まれます。
視点3:「繰り返し会う」機会を大切にする
習い事の送迎、学校行事の待ち時間。
「また会う」という機会を
「ただの待ち時間」として過ごすより、
「関係を育てる時間」として過ごす。
毎週の小さな会話の積み重ねが、
気づいたら「気軽に話せる親御さん」という関係を
育てていきます。
「同じ境遇」がひとつできるだけで、世界が少し広がる
何年も顔を合わせていたのに話したことがなかった親御さんと、
同じ習い事になっただけで自然と会話が始まった。
「同じ境遇」というひとつの接点が、
長年縮まらなかった距離を
あっさり変えてしまう。
アドラーが言う「共同体感覚」は、
子どもの友達関係だけでなく、
大人の人間関係にも同じように働いています。
子どもの習い事が、
親の人間関係まで豊かにしてくれる。
そんな副効果を、じんわりと感じた今年の夏でした。


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