100点の答案の裏側にあるもの|アドラー心理学×3児パパが考える「自分で動く力」と子どもの自己効力感

100点より嬉しかったこと 小6の長女が、算数のテストで100点を取ってきました。 随分ひさしぶりです。 もちろん嬉しい。 でも、もっと嬉しかったのは、 その「100点」に至るまでの過程でした。 テスト前、「分からない」と泣きながら聞いてきた長女。 問題を見ると、小6の算数、難しい(笑) 少しだけ解き方を教えて、解答で自分でやるよう促した。 翌日には勉強が得意な友達にも教えてもらったそうです。 「分からない」を「分かる」に変えようと、 自分でいろいろ動いた。 Uncategorized

100点より嬉しかったこと

小6の長女が、算数のテストで100点を取ってきました。

随分ひさしぶりです。

もちろん嬉しい。

でも、もっと嬉しかったのは、
その「100点」に至るまでの過程でした。

テスト前、「分からない」と泣きながら聞いてきた長女。
問題を見ると、小6の算数、難しい(笑)

少しだけ解き方を教えて、解答で自分でやるよう促した。
翌日には勉強が得意な友達にも教えてもらったそうです。

「分からない」を「分かる」に変えようと、
自分でいろいろ動いた。

この記事では、アドラー心理学の「自己効力感」という視点から、
「100点の答案の裏側にあるもの」を考えます。


「分からない」から始まった動き

「分からない」と言えたこと

「分からない」と泣きながら聞いてきた——
この一歩が、今回の100点の最初の一歩でした。

「分からない」という状態を、
自分の中に抱え込まずに誰かに伝えられること。

「頼れる人に頼る」という力は、
実はとても大切な力です。

「困ったら自分で動く」の最初の「動く」が、
「誰かに聞く」であることは、
自立と矛盾しません。

「一人でやる」より、
「どこに頼ればいいかを知って動ける」子どもの方が、
長い目で見て強い場面が多い。

「親への相談」から「自分での取り組み」へ

泣きながら聞いてきた長女に、
少しだけ解き方を教えました。

「ここからは解答を見ながら、自分でやってみな」
と任せた。

このバトンパスが、今回うまく機能したのだと思います。

「全部教える」でも「全部放っておく」でもなく、
「入口だけ一緒に入って、あとは自分でやってみな」という関わり方。

この「任せる」という選択が、
「自分でやった」という体験を娘に残しました。

「友達に教えてもらう」という自発的な動き

翌日、勉強が得意な仲良しの友達にも
教えてもらったそうです。

これは、親が言ったわけではありません。
長女が自分で「もっと分かりたい」と動いた結果です。

「分からない→親に聞く→解答で自分でやる→友達にも聞く」

この一連の動きが、すべて長女自身の行動でした。


アドラー心理学が教える「自己効力感」と「自分で動く力」

「自分でやった」体験が次を育てる

アドラー心理学の「自己効力感」
「自分はできる」という感覚は、
「自分で動いてみた、そしてうまくいった」という
体験の積み重ねから育ちます。

今回の「分からない→自分でいろいろ動く→100点」という
流れは、そのまま自己効力感を育てるプロセスでした。

「誰かに言われてやった」ではなく、
「自分で動いた」という感覚が残っていることが、
次の「また自分でやってみよう」につながっていきます。

「課題の分離」と学びの自立

アドラーの「課題の分離」では、
「どう理解するか」「どう学ぶか」は子どもの課題です。

今回、「分からない」と来た娘に
「全部教える」のではなく、
「ここだけ教えて、あとは任せる」を選んだのは、
この課題の分離を自然にやれたのかもしれません。

「親が引き続けない」という選択が、
「自分で動く機会」を長女に渡すことになりました。

「友達に教えてもらう」という共同体感覚

勉強が得意な友達に教えてもらった——
これは「共同体感覚」の表れでもあります。

「困ったときに頼れる友達がいる」という感覚。
「友達の力を借りながら自分の課題に向かう」という体験。

「一人でやった」より、
「友達と一緒に乗り越えた」という体験の方が、
「またあの子に相談しよう」「あの子のために何かしよう」という
共同体感覚を育てていきます。


「100点」の何が嬉しかったのか

結果への喜びと、過程への喜びは違う

100点という結果は、もちろん嬉しい。

でも「100点より嬉しかった」のは、
「分からない」から自分で動いた過程でした。

「結果への喜び」100点、やったね。
「過程への喜び」分からないから自分で動いたんだね。

この二つは、子どもへ届けるメッセージが違います。

「100点よかったね」という言葉は、
次に「80点だったとき」との落差をつくります。

「分からないから動いたんだね」という言葉は、
100点でも80点でも使えます。

過程への喜びを伝えることが、
子どもの「また動こう」につながります。

「親には見えない努力」を想像する

「友達にも教えてもらった」という話を聞いて、
「自分の知らないところでも、いろいろ頑張ったんだな」と思いました。

親が見ていない時間に、
「もっとわかりたい」と動いた長女がいた。

「100点の答案の裏側には、
親には見えない努力がたくさんあった」

この「見えていない部分を想像できる喜び」が、
「過程を知っているから結果が深く届く」という感覚と重なります。

「自分で動いた子ども」への勇気づけ

アドラーが言う「勇気づけ」
取り組みへの承認は、
今回であれば、

「100点すごいね!」よりも、
「分からなかったのに、いろんな人に聞きながら自分でやったんだね」

という言葉の方が、長女の中に残る勇気づけになります。

「結果を承認する」より「過程を承認する」
今回もその大切さを改めて感じました。


「算数の2部作」としてのこのエピソード

「見て」と言われたのに応えられなかった夜

以前の記事で書いた「算数、見て」と言われたのに
余裕がなくて「今は無理」と言ってしまった夜。

娘の「うん」が残り続けた夜の話。

翌日「一緒にやろうか」と声をかけて、
一緒に解説を読んで、「あー、そういうことか!」になった夜。

そして今回、テスト前に泣きながら「分からない」と来た。
少し教えて、任せた。友達にも頼った。100点。

「算数」をめぐる長女との一連の話が、
一つの流れになってきた気がします。

「親が全部教えなくていい」という確信

「算数、難しい(笑)」と思いながら、
少しだけ一緒に考えて任せた今回。

「親だからって、何でも教えられなくていい」
この記事でも書いたことが、
今回また自分の中で確かめられた気がします。

「全部教えようとしなかったこと」が、
長女の「自分で動く」を生んだ。

これが今回一番の気づきでした。


100点の答案の裏側にあるもの

「分からない」と泣きながら来た娘が、
100点を取って帰ってきた。

親に聞いて、解答を見て、友達にも聞いて
自分でいろいろ動いた。

100点はもちろん嬉しい。
でもそれ以上に、「自分で動いた」という過程が嬉しかった。

アドラーが言う「自己効力感」
「自分はできる」は、
こういった「自分で動いてみた体験」の積み重ねから育ちます。

100点の答案の裏側には、
親には見えない努力がたくさんあった。

結果も嬉しいけれど、
過程を想像できることが、もっと嬉しい💯🍡


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