お墓参りで、何十年も前の記憶がよみがえった
この時期になると、お墓参りをします。
手を合わせながら、
自分が子どもだった頃の記憶が
ふっとよみがえってきます。
おじいちゃんと一緒に自転車に乗ったこと。
鉄棒の逆上がりを、何度も付き合って教えてもらったこと。
早朝にカブトムシを探しに行ったこと。
おばあちゃんに、絵の描き方や字を教えてもらったこと。
みんなでトランプをした夜のこと。
何十年も経っているのに、
細かい感覚まで一緒によみがえってくる。
おじいちゃんの自転車の後ろに乗ったときの風の感覚。
逆上がりができたときの「やった!」という気持ち。
カブトムシを見つけたときの興奮。
「大人が思っている以上に、子どもは覚えているんだな」と
改めて感じた時間でした。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
子どもの心に残る「一緒の時間」の力を考えます。
なぜ「一緒にいた記憶」は何十年も残るのか
感情と結びついた記憶は消えにくい
心理学的に見ると、
感情と結びついた体験は記憶に残りやすいことがわかっています。
「うれしかった」「どきどきした」「やった!」「安心した」
こういった感情を伴った体験は、
何十年経っても色褪せにくい。
おじいちゃんと自転車に乗った記憶が残っているのは、
「楽しかった」「大切にされた」という感情と
セットになっているからだと思います。
「特別じゃない日常」が一番残る
記憶に残っている場面を振り返ると、
必ずしも「特別な日のこと」ではありません。
旅行に行ったことより、
おじいちゃんの庭でカブトムシを探したこと。
高価なプレゼントをもらったことより、
おばあちゃんに字を教えてもらった夕方のこと。
「何気ない日常の一緒の時間」が、
実は一番鮮明に残っていることがある。
子育ても同じかもしれません。
「一緒にいてくれた」という感覚が残る
記憶の核心にあるのは、
「何をしたか」より「一緒にいてくれた」という感覚かもしれない。
逆上がりを教えてもらった記憶の中に残っているのは、
「技術を教えてもらった」ことより、
「できるまで付き合ってくれた」という感覚です。
「この人は自分のために一緒にいてくれた」という体験が、
何十年後にも温かく残っている気がします。
アドラー心理学が教える「共同体感覚」と記憶の関係
「つながっていた」という感覚が記憶になる
アドラー心理学の「共同体感覚」——
「自分はここにいていい、つながっている」という感覚——は、
人との共有体験の中で育まれます。
一緒に自転車に乗る。
一緒に虫を探す。
一緒にトランプをする。
この「一緒に」という体験が、
「自分はつながっていた」という共同体感覚の記憶を作っていきます。
その記憶が、何十年経っても
「あの人と一緒にいた」という温かい感覚として残る。
「今ここ」の一緒の時間が積み重なっていく
アドラーが言う「今ここ(Here and Now)」——
今この瞬間に意識を向けること——は、
記憶の観点からも大切です。
「また今度連れていこう」「もう少し大きくなってから」
こういう「未来への先送り」ではなく、
「今日、この子と何をするか」に向き合うことが、
記憶に残る体験を生み出します。
カブトムシを探したあの早朝は、
「今日、孫と行こう」という判断があったから生まれた。
その「今日の選択」が、
何十年後の記憶になっていきます。
「勇気づけ」は記憶の中にも残る
アドラーが言う「勇気づけ」——
「あなたはできる、あなたはここにいていい」という承認——は、
記憶の中にも残ります。
逆上がりができたときのおじいちゃんの顔。
字が上手く書けたときのおばあちゃんの「上手ね」という言葉。
その瞬間の「認めてもらった感覚」が、
何十年後にも「あのときのことは覚えている」として
残っているのだと思います。
「今の自分が子どもたちに残せるもの」を考えた
3人が大人になって思い出すとしたら
お墓参りをしながら、
「3人が大人になったとき、
何を思い出してくれるだろう」と考えました。
カブトムシを朝5時に一緒に捕りに行ったこと——
全滅させた悔し涙も含めて、思い出してくれるかもしれない。
サファリパークで一緒にライオンに驚いたこと——
「あの台風の夏、サファリ行ったよね」と
笑いながら話してくれるかもしれない。
夏休みの宿題で毎年バトルしたこと——
「お父さん、すぐ口出してきてたよね」と
言われるかもしれない(笑)
どれが残るかは、今はわからない。
でも「一緒にいた時間」は、
きっと何らかの形で残っていくだろうと思います。
「特別でない日常」を大切にしたい
改めて思うのは、
「特別なことをしなきゃ」という焦りより、
「日常の何気ない一緒の時間」を大切にする方が
記憶に残るものを作れるかもしれないということ。
夕飯を一緒に食べた。
宿題を隣で見ていた。
何気なく話しかけてきたのに「うん」と返した。
そういう「特別でない今日」の積み重ねが、
後から振り返ったときに「あの頃」という温かい記憶になる。
「この瞬間を生きる」ことが子育ての答えかもしれない
お墓参りで気づいたのは、
「今の自分が子どもたちと過ごしているこの時間が、
将来の記憶になっていく」ということです。
「もっとちゃんとやらなきゃ」ではなく、
「今日も一緒にいた」を積み重ねること。
アドラーが言う「今ここ」の幸福は、
この「一緒にいた今日」の中にあります。
「子どもの記憶に残る時間」を作るための3つの視点
視点1:「何気ない一緒の時間」を大切にする
特別なイベントより、
「今日も一緒にご飯を食べた」
「今日も少し話した」
「今日も同じ空間にいた」
こういう日常の積み重ねが、
記憶の土台になります。
視点2:「一緒にやる」体験を増やす
「見せてあげる」より「一緒にやる」。
一緒に料理をする、一緒に虫を探す、一緒にゲームをする。
「一緒にやった」という体験が、
「一緒にいた」という記憶になっていきます。
視点3:「今日の子どもをちゃんと見る」
スマホを見ながら「うん」と返すより、
ちゃんと顔を見て「そうなんだ」と返す。
「今この子を見た」という瞬間が積み重なることが、
子どもに「ちゃんと見てもらえていた」という
記憶として残っていきます。
一緒にいた時間は、思っている以上に残っている
おじいちゃんとの自転車。
逆上がりの特訓。
早朝のカブトムシ採り。
おばあちゃんとのトランプの夜。
何十年経っても、色褪せずに残っている。
大人が思っている以上に、
子どもは「一緒にいた時間」を覚えています。
今の自分が子どもたちと過ごしているこの時間が、
いつか「あの頃」として残っていく。
そう思うと、今日の「一緒の時間」が
少し違って見えてくる気がします。


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