「みんな頑張っているんだなぁ」という気づき
子どもと仲良くしている友達を見て、
「この子、すごいな」と感心する場面がありました。
習い事が上達しているなと思っていたら、
実は別のスクールにも通って、練習を重ねていた。
ゲームで一緒に遊んでいても、
「もうゲームの時間だからやめるね!」と
さっと約束を守って終わった。
「一緒に遊んでいる姿」しか見ていなかったけれど、
この子にも努力している時間があって、
家族との約束があって、
少しずつ成長している。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
子どもの周りの仲間を「見えている姿」だけでなく
「見えていない部分」まで含めて受け取ることの大切さを考えます。
「一緒に遊んでいる姿」だけで友達を見ていた
親が見えているのは「遊んでいる場面だけ」
子ども同士が遊んでいる場面を見るとき、
親は「今この場面だけ」を見ています。
一緒に遊んで、笑って、走り回っている。
「この子は元気ないい子だな」という印象が、
その場面から生まれます。
でも当然のことながら、
「その子の全部」ではない。
その子には、見えていない時間があります。
「見えていない時間」に努力がある
習い事の練習を重ねている時間。
家族との約束を守って終わりにする時間。
わからないことを自分で考えている時間。
これらは「一緒に遊んでいる場面」には見えていません。
でも確かにある。
「遊んでいる姿」は、その子の一部分にすぎない——
このことに、改めて気づかされました。
「この子はこういう子だ」という固定像を手放す
「一緒に遊んでいる姿」だけで友達を見ていると、
「この子は明るい子」「この子はおとなしい子」という
固定的なイメージができやすい。
でもその子にも、
遊び以外の時間があって、
努力している場面があって、
家族の中での顔がある。
「見えている姿」だけで人を見る——
大人も、子どもも、やってしまいがちなことだと思います。
アドラー心理学が教える「共同体感覚」と友達への尊重
「あの子も頑張っている」が共同体感覚を豊かにする
アドラー心理学の「共同体感覚」——
「自分はここにいていい、みんなとつながっている」という感覚——は、
「一緒に遊んでいる時間」だけから育まれるのではありません。
「あの子も努力している」
「みんなそれぞれ頑張りながら、ここで一緒に遊んでいる」
という認識が加わると、
共同体感覚の深さが変わります。
「遊び仲間」から「互いに尊重する仲間」へ。
この見方の変化が、友達関係を豊かにします。
「人は見えていない部分を持っている」という視点
アドラー心理学では、
「人は固定した存在ではなく、常に変化し成長している」という
視点を大切にします。
「この子はこういう子」という固定像より、
「この子は今この段階にいる」というフラットな観察。
「一緒に遊んでいる姿」が全てではなく、
その子には見えていない努力の時間がある——
この視点が、友達への尊重の土台になります。
「約束を守る姿」が共同体感覚を育てる
「もうゲームの時間だからやめるね!」という一言は、
「家族との約束を大切にしている」という姿の表れです。
「遊び」の場でありながら、
「家族という共同体への責任」を果たしている。
この姿を見ていたわが子が、
「そういうものなんだ」と学んでいる可能性があります。
「友達の行動が子どもを育てる」という側面が、
ここにあります。
「良い仲間」がいる環境の意味
子どもは周りから学んでいる
子どもは、親から学ぶだけでなく、
友達からも大切なことを学びます。
「ゲームの約束を守って終わりにする友達」を見ていることが、
「自分もそうしてみよう」という内発的な動機につながることがある。
「親に言われるから守る」より、
「友達が守っているから」という理由の方が、
子どもにとってより身近なモデルになることがあります。
「良い環境」は意図的には作れないが、気づけることはある
「子どもに良い友達を作ってあげたい」という気持ちは
親として自然なことです。
でも友達関係は、
意図的に「この子と仲良くしなさい」と作れるものではありません。
親にできることは、
「どんな環境にいるか」を観察して、
「良い環境にいるな」と気づいたとき、
その環境を大切にすることかもしれません。
子どもの友達を「尊重する眼差し」で見る
「うちの子の友達」という見方より、
「それぞれ頑張っている子どもたち」という眼差しで
友達を見てみる。
「この子、いつもゲームばかりしているな」ではなく、
「この子にも私が見えていない努力の時間がある」と思い直す。
この眼差しの変化が、
子どもの友達を豊かに受け取ることにつながります。
「見えていない姿」を想像する3つの習慣
習慣1:「この子は今日どんな一日を過ごしてきたかな」と想像する
子どもの友達が遊びに来たとき、
「この子は今日学校で何があったんだろう」
「今日習い事があったのかな」と
少し想像してみる。
「遊びに来た子ども」ではなく、
「今日一日を過ごしてきた子ども」として見ることが、
その子への尊重につながります。
習慣2:「へえ、そういうこともしているんだね」という言葉を使う
友達の「見えていない努力」が見えたとき、
「すごいね」という評価より、
「へえ、そういうこともしているんだね」という
驚きと尊重の言葉を使ってみる。
「見えていない部分を受け取った」という感覚が、
その子への関心として伝わります。
習慣3:「みんなそれぞれ頑張っている」を親の言葉で伝える
子どもに、友達について話すとき、
「あの子、実はこんなに練習していたんだって」と
「見えていない努力」を一緒に受け取る。
「みんなそれぞれ頑張っているんだよ」という言葉が、
子どもの友達への尊重の感覚を育てます。
「一緒に遊ぶ仲間」の裏側を想像できると、友達が豊かに見える
「ゲームの時間だからやめるね!」という友達の一言が、
なんか清々しくてよかった。
一緒に遊んでいる姿しか見ていなかったけれど、
この子にも努力している時間があって、
家族との約束があって、
少しずつ成長している。
わが子だけじゃない。
いつもの仲間も、みんな大きくなっている。
アドラーが言う「共同体感覚」——
「みんなとつながっている」——は、
「一緒に遊んでいる時間」だけでなく、
「互いの見えていない頑張りへの尊重」からも育まれます。
「うちの子と遊ぶ子」ではなく、
「それぞれ頑張っている子どもたち」として、
周りの子どもたちを見ていきたいと思っています。


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