「スイミングを休んでサッカーがしたい」 息子の言葉に悩んだ数ヶ月
小4の息子の習い事を、見直しました。
今まで取り組んできたのは、スイミングと少年サッカーの2つ。でも数ヶ月前から、息子がこんなことを繰り返し言うようになっていました。
「もっとサッカーが上手くなりたい」
「スイミングを休んでサッカーがしたい」
サッカーは本当に楽しそうで、着実に上達も感じます。一方、スイミングは最近少し気が進まない様子で、伸び悩んでいるようにも見えていました。
でも、すぐには決められませんでした。
「ずっと続けてきたのに」「水泳は一生の財産にもなるし」「でも、やりたくないことを続けるのも…」
さまざまな思いが交差して、親として正直悩みました。
アドラー心理学「課題の分離」 習い事に当てはめて考えてみた
「課題の分離」とは何か
アドラー心理学の重要な概念に、「課題の分離」があります。
簡単に言うと、「その行動の結末を最終的に引き受けるのは誰か」という視点で、物事を「自分の課題」と「相手の課題」に分けて考えるということです。
親が子どもの課題に踏み込みすぎると、子どもの自立の芽を摘んでしまう。逆に、親が担うべき課題まで子どもに委ねてしまうと、必要な保護や判断が失われる。そのバランスを意識することが大切です。
習い事における「親の課題」と「子どもの課題」
習い事の見直しを、課題の分離で整理してみます。
親の課題(親が判断すべきこと):
- 費用やスケジュールなど、家族全体の生活バランス
- 安全性・教育的な観点からの判断
- 子どもが自分ではまだ判断できない長期的な視点
子どもの課題(子ども自身のこと):
- 何が楽しいか、何をやりたいか
- 今、何に熱中しているか
- 体や心が「続けたい」と感じているかどうか
どちらも大切で、どちらかだけで習い事の判断はできません。でも、子どもの「やりたい」という気持ちは、できるだけ大切にしたいと思っています。
「やめる」ことへの罪悪感 それは誰の課題か
「続けることが美徳」という思い込み
習い事を途中でやめることへの罪悪感は、多くの親が抱えます。
「せっかくここまで続けたのに」「やめ癖がつくのでは」「あとで後悔するのでは」
こうした思いは、決して悪いものではありません。子どもを思っているからこそ出てくる感情です。
でも少し立ち止まって考えてみると、「続けることが美徳」という感覚は、誰が持っているものでしょうか。
多くの場合、それは親自身の価値観や、社会的な「こうあるべき」という空気から来ています。子どもがそう感じているとは限りません。
「やめること」と「逃げること」は違う
アドラー心理学では、行動の目的を大切にします。
「やめること」が、困難から目を背ける逃げなのか、それとも自分のやりたいことに向かって進む選択なのか それによって、意味がまったく違います。
今回の息子の場合、「サッカーが嫌だからスイミングに逃げたい」のではなく、「サッカーをもっとやりたいからスイミングを休みたい」という状況でした。前向きな理由があるやめ方は、逃げとは違います。
子どもが「やめたい」と言ったとき、理由の中身を丁寧に聞くことが大切だと思います。
「子どもの声を聞く」ことと「子どもに決めさせる」ことの違い
聞くことと委ねることは違う
課題の分離の考え方で大切なのは、「子どもの課題は子どもに委ねる」ことですが、これは「子どもの言う通りにする」とはイコールではありません。
子どもの「やりたい」「やりたくない」を聞くことと、その意見をそのまま実行することは、別の話です。
親は、子どもの声を聞いた上で、親としての判断を加えて最終的な決定をする。その判断の過程で、子どもの意志をどれだけ尊重するかは、ケースによって変わります。
今回の選択 「聞いた上で、一緒に決めた」
今回、私が大切にしたのは「息子の声を聞いた上で、一緒に考える」というプロセスでした。
「サッカーをもっとやりたい」という気持ちを受け止め、費用やスケジュールの現実も踏まえ、「今はサッカーを頑張ってみようか」という選択に落ち着きました。
スイミングは「やめる」ではなく「休会」としたのは、また気持ちが変わったときに戻れる余地を残したかったからです。「この選択が正しかったかどうか」は、正直まだわかりません。でも、息子の気持ちを聞いた上で出した選択であることは確かです。
習い事の「正解」はひとつじゃない
続けることが正解のときもある
「続けること」が大切な場面はあります。
一時的なスランプや、「なんとなく面倒くさい」という気分のムラは、乗り越えた先に成長があることもあります。続けてきた積み重ねが、ある日突然花開くことも。
すべての「やめたい」に応じていたら、何も身につかないという側面も確かにあります。
やめることが正解のときもある
一方で、「やめること」「休むこと」が正解の場面もあります。
子どもの心が完全に離れてしまっているのに無理に続けさせることが、習い事そのものへの嫌悪感を育ててしまうこともあります。「続けさせたかった」という親の思いが、子どもとの関係に影を落とすこともある。
また、子どもが「やめたい」と親に言えること自体、親子関係が健全な証拠でもあります。言えない環境の方が、むしろ心配かもしれません。
「やりたい」を言える環境を大切にしたい
習い事の正解は、子どもによって、時期によって、家庭の状況によって変わります。
私が大切にしたいのは、子どもが「やりたい」「やりたくない」を親に伝えられる環境を守ることです。そしてその声を、頭ごなしに否定せず、一度ちゃんと受け取ること。
その上で、親としての判断を加えて選択する。アドラー心理学の課題の分離は、そんなプロセスを助けてくれる考え方だと思っています。
まとめ|「子どもの声を聞く」ことが、最初の一歩
今回の記事のポイントをまとめます。
- アドラー心理学「課題の分離」 習い事は「親の課題」(費用・バランス)と「子の課題」(やりたい気持ち)が交わる場所
- 「続けることが美徳」という感覚は親の価値観から来ていることもある 誰の課題かを整理することが大切
- 「やめること」と「逃げること」は違う 前向きな理由があるなら、やめることも選択肢
- 子どもの声を「聞く」ことと「そのまま実行する」ことは別 聞いた上で親が判断する
- 子どもが「やりたい・やりたくない」を言える環境を守ることが、長期的な信頼関係につながる
- 習い事の正解はひとつではない その時々の子どもと家庭の状況で変わる
皆さんなら、こういうとき、どう考えますか?🍡


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