「それは意地悪じゃない?」と思った出来事
子ども同士で遊んでいて、
「え、それは意地悪じゃない?」と思う出来事がありました。
しかも相手は、いつも仲良く遊んでいる友達。
「仲良い友達なのに、なんでそんなことを…」と
少し考え込んでしまいました。
親として、すぐに口を出すべきか、
見守るべきか。
でも少し立ち止まって考えると、
「仲が良いからこそ」な側面もあるのかもしれないと気づきました。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
仲の良い友達とのぶつかりの意味と、
子どもが相手の気持ちを学んでいく過程を考えます。
「仲が良いからこそ」ぶつかることがある
距離が近いと「甘え」が生まれる
仲の良い友達との間では、
「この子なら大丈夫だろう」という甘えが生まれやすい。
知らない子や、まだ距離のある子に対しては
言わないことが、
仲の良い友達には言えてしまう。
距離が近いということは、
「ある程度崩していい」という感覚につながりやすい。
大人も同じです。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉が存在するのは、
「仲が良いと礼儀を失いやすい」という人間の傾向を
ついているからだと思います。
「言いすぎ」は関係が深いからこそ起きる
「仲いいから言える」と思っている言葉が、
「仲いいから言いすぎた」になることがある。
この線引きを体で覚えていくことが、
人間関係における大切な学びのひとつです。
どこまで言っていいか。
どの言葉が相手を傷つけるか。
どんな態度が「調子に乗りすぎ」なのか。
これは教えてもらうより、
実際に体験して、失敗して、
「あれはやりすぎたな」と気づくことで育つ感覚です。
「意地悪な子」ではなく「学びの途中の子」として見る
「意地悪なことをした」という事実はある。
でも「意地悪な子だから意地悪をした」と
その子の性格に帰着させてしまうと、
「学びの途中にある」という視点が見えなくなります。
「今はまだ、距離の近い友達との関係調整を学んでいる途中」
こう見ると、
同じ出来事でも意味が変わります。
アドラー心理学が教える「共同体感覚」と友達とのぶつかり
「みんなが心地よくいられること」を学ぶ過程
アドラー心理学の「共同体感覚」——
「みんながここにいていい、つながっている」という感覚——は、
一度に完成するものではありません。
実際の関係の中で、
ぶつかって、気づいて、修復して、
少しずつ育っていくものです。
「この言葉は相手を傷つけた」と気づく体験が、
「次は気をつけよう」につながっていく。
友達とのぶつかりは、
共同体感覚を育てるための「実地訓練」でもあります。
「勇気づけ」は叱るだけではない
アドラーの「勇気づけ」は、
「悪いことをしたときに叱ること」ではなく、
「その子がよりよい選択をできるよう支えること」でもあります。
「なんでそんなことをしたの」と責めるより、
「あの場面のあの言葉、相手はどう感じたと思う?」と
問いかけることが、子どもが自分で考えるスペースを作ります。
「修復のプロセス」が関係を強くする
ぶつかったあと、
二人がどうやって関係を修復するか——
このプロセスが、友達関係を深く強くします。
「ぶつかったことがない関係」より、
「ぶつかって、修復できた関係」の方が、
長期的に信頼の深い関係になっていくことがあります。
子どもの友達関係でも同じです。
親として「どう関わるか」の判断
まず「見守る」を選ぶ
子どもの友達関係で「ちょっと気になること」があったとき、
まず「見守る」を選ぶことが多い。
すぐに介入せずに、
「このあと二人がどうなるか」を見ていく。
子どもが自分で気づく場面もあるかもしれない。
相手の子が何かを言うかもしれない。
自然に流れていくこともある。
「すぐに動く」より「まず見る」が、
子どもが自分で解決する機会を守ります。
「困っているか」を確認する
もし子どもが落ち込んでいたり、
何か引きずっていそうなら、
「さっきのこと、どうだった?」と聞いてみる。
「何もなかったように」流すのではなく、
「気になっていた」ということを伝えながら、
子どもの話を聞く。
「あの場面、相手はどう感じたと思う?」という問いかけが、
子どもが相手の視点に立つ練習になります。
「なぜそうしたか」より「どうすればよかったか」を問う
叱るときも、
「なんでそんなことしたの!」という原因追及より、
「あの場面、どうすればよかったと思う?」という
前向きな問いかけの方が、子どもが自分で考えます。
アドラーの「目的論」的な関わり——
「なぜそうした(原因)」より「次どうする(目的)」——は、
こういった場面でも活きてきます。
「相手の子を責めない」
「あの子はひどい子だ」という印象を
親が持ちすぎると、
子どももその視点に引きずられることがあります。
「あの子も今は学んでいる途中なんだ」という視点を
親が持っておくことが、
子どもが友達関係を豊かに続けていくための土台になります。
「ぶつかりながら育つ」という友達関係の真実
「摩擦のない友達関係」は存在しない
どんなに仲の良い友達でも、
長く付き合えば必ずどこかでぶつかります。
摩擦のない友達関係は、
実は「深くない関係」のことが多い。
仲良しだからこそぶつかる。
ぶつかるくらい距離が近い。
この逆説が、友達関係の面白いところでもあります。
「ぶつかった後」が一番大切
ぶつかった後、
どうやって二人が関係を修復していくか。
言いすぎた言葉を謝れるか。
「あれは冗談のつもりだったけど」と伝えられるか。
何もなかったようにまた一緒に遊べるか。
この「修復のプロセス」が、
友達関係の中で一番深い学びになります。
親にできることは「帰る場所でいること」
ぶつかって傷ついたとき、
子どもが「帰ってきて話せる場所」が家にある。
「あのとき、嫌だったんだよね」と
受け取ってもらえる親がいる。
それが、子どもが友達関係を続けていく力の土台になります。
「仲が良いからこそ」は、学びが多い場所
いつも仲良く遊んでいる友達との間で起きた
「それは意地悪じゃない?」という場面。
「意地悪な子だから」ではなく、
「仲が良いから距離が近く、まだ調整を学んでいる途中」と
見ることができる。
アドラーが言う「共同体感覚」——
「みんなが心地よくいられること」——は、
こういったぶつかりと修復の繰り返しの中で育っていきます。
友達との遊びは、相手の気持ちを学ぶ大切な時間。
そして親は「すぐに介入する人」ではなく、
「ぶつかって帰ってきたときに受け取る人」でいることが、
一番の関わり方かもしれません。


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