久しぶりに「算数が分からない!」と泣いてきた
小6の娘が、自分から宿題をするようになって、もうずいぶん経ちます。
以前は「分からない!」と泣きながら問題を持ってくることが多かったのですが、最近は解答の解説を自分で読んで理解しようとするようになっていました。
「成長したなあ」と思っていた矢先、先日久しぶりに出ました。
「算数が分からない〜😭」
泣きながら問題を持ってきたんです(笑)
おそるおそる問題を見ました。小6の算数の文章題。苦手なんですよ、ぼくも(笑)
でも……あ、これは分かる。なんとか教えてあげることができました。娘も「あ、そっか!」と理解してくれて、ひとまずよかった。
でも、そのあとふと思ったんです。
「あ、もうそろそろ限界かもしれない」
親が子どもに勉強を教えられる「限界」が来る
教えられる問題には、いつか天井がくる
子どもが小学生のうちは、多くの保護者が宿題や勉強を見てあげることができます。でも学年が上がるにつれて、問題の難易度は上がっていく。
中学・高校と進めば、専門的な知識が必要になる単元も増えてきます。親が「この問題は分からない」という場面は、必ずやってきます。
そのとき、子どもはどうするでしょう。
- 塾に行く
- 問題集で調べる
- 先生に聞く
- 友達に聞く
- インターネットで検索する
どれも正解です。でも、その前に大事なことがあると思っています。
「自分で何とかしようとする姿勢」があるかどうか。
答えをもらえる環境があると、答えをもらおうとする
これは子どもに限ったことではなく、人間の自然な心理です。
答えをすぐに教えてもらえる環境にいると、人は「答えを教えてもらうこと」をデフォルトにしていきます。それ自体を責めることはできません。効率的でもありますから。
でも、その習慣が定着すると、「答えをもらえない状況」に弱くなる。
誰も答えを持っていないとき。自分で考えなければならないとき。そのときに「どうしたらいいか分からない」という状態になってしまう。
だからこそ、親が教えられる間に、「自分で解決しようとするプロセス」を大切にすることが重要なのだと思います。
💡 内部リンク設置箇所:「子どもへの勉強の教え方・関わり方」関連記事があればここにリンク
アドラー心理学から考える「子どもの課題」と「自律」
「課題の分離」——勉強は誰の課題か?
アドラー心理学に「課題の分離」という考え方があります。
簡単に言えば、「誰の課題なのかを明確にする」ということです。
子どもの宿題・勉強は、基本的には子ども自身の課題です。もちろん、サポートすることは大切。でも、親が「やらせなければ」「できなかったら大変」と過剰に介入し続けると、子どもは「勉強は親からやらされるもの」という意識になっていきます。
課題の分離を意識することで、
- 子どもが「自分ごと」として勉強に向き合う
- 自分でなんとかしようとする力が育つ
- 親子の関係もフラットになる
という効果が生まれます。
「内発的動機」やらされる勉強と、やりたい勉強の違い
アドラー心理学では、「内発的動機」を大切にします。
外からの報酬や罰ではなく、「自分がやりたいからやる」「できるようになりたいからやる」という内側からのエネルギーが、長期的な学びを支えます。
「親に褒められるから勉強する」「怒られるから宿題をやる」という外発的動機は、短期的には効果があります。でも、褒め・叱りが機能しなくなったとき、モチベーションが失われやすい。
一方、「自分で解説を読んで分かった!」という経験を積み重ねた子は、「分かることそのものが楽しい」という内発的動機が育ちやすくなります。
💡 内部リンク設置箇所:「アドラー心理学 子育て」「内発的動機 子育て」関連記事があればここにリンク
娘の「成長」自分で解説を読めるようになった意味
「泣かなくなった」ことよりも、「自分でトライしている」ことが大事
冒頭でお伝えしたように、娘は最近、解答の解説を自分で読んで理解しようとしています。
「泣かなくなった」「親を頼らなくなった」という変化は目に見えやすいのですが、ぼくがより大切だと思うのは、「自分でなんとかしようとするプロセスが身についてきた」ことです。
解説を読む → 理解する → 解いてみる。このプロセスを自分で回せるようになること。これが「自分で学ぶ力」の基礎になります。
久しぶりに泣いてきたことの意味
今回、久しぶりに「算数が分からない!」と泣いてきました。
これを「後退した」と見ることもできます。でも、ぼくは少し違う見方をしています。
娘はきっと、
- 自分で解こうとした
- 解説を読もうとした
- それでも分からなかった
- だから親に頼った
というプロセスを踏んでいるはずです(実際にそうでした)。
「最初から親を頼る」ではなく、「自分でやってみて、それでもダメだったから頼る」という姿勢がある限り、大丈夫だと思っています。
アドラー心理学的に言えば、「勇気づけ」の視点でもあります。失敗しても、行き詰まっても、「それでもやってみようとした」ことを認め、次に向かうエネルギーを育てる。
親が教えられる限界が来たとき、どう準備するか
「教えられる」より「一緒に考える」関わり方
ぼくが今意識しているのは、「答えを教える」より「一緒に考えるプロセスを見せる」ことです。
「この問題はこうやって解くんだよ」と正解を渡すより、「うーん、ここはどう考えたらいいかな?こっちから考えてみようか」と一緒に悩む姿を見せる。
そうすることで、子どもは「分からないときの思考プロセス」を学んでいきます。答えではなく、「考え方」を伝えることができる。
自分で調べる手段を持たせる
もうひとつ大切なのが、「自分で調べる手段を知っている」ことです。
- 解答の解説を読む(すでにできている)
- 教科書を見直す
- YouTube の解説動画を探す
- 学校の先生に聞く
こういった手段を「自分で選んで使えるようになること」が、親が教えられなくなったあとの自立につながります。
「手放す」ことが子どもを育てる
子育ては、「手放していくプロセス」でもあります。
最初は何でも手を貸す。でも少しずつ手を離して、子ども自身が自分でできることを増やしていく。
勉強も同じです。親が教えられる間も、少しずつ「自分でやってみる」機会を作っていく。失敗してもいい。時間がかかってもいい。そのプロセスの中で、本当の「学ぶ力」が育っていきます。
💡 内部リンク設置箇所:「手放す子育て」「子どもの自律」「アドラー 勇気づけ」関連記事があればここにリンク
答えより「学ぶ力」を育てる子育て
今回の記事のポイントをまとめます。
- 親が子どもに勉強を教えられる時間には限界がある
- アドラー心理学「課題の分離」から見ると、勉強は子ども自身の課題
- 「内発的動機」を育てることが、長期的な学びにつながる
- 「自分でやってみてから頼る」プロセスが身についていれば大丈夫
- 答えを教えるより「考え方を一緒に悩む」関わり方が有効
- 「手放す」ことが、子どもの自律につながる
ぼく自身、まだまだ試行錯誤中です。でも娘が「解説を読んで自分で理解しようとしている」姿を見るたびに、少しずつ育っているんだなあ、と感じています。
親が教えられる限界は、子どもが自分で学ぶ力を試す始まりでもある。そう思ったら、少し気が楽になりました🍡


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