子どもの風邪が次々と——「順番にくる」とき、親が大切にしていること|アドラー心理学×3児パパの日常観察記

「よかった」と思ったら、今度は次の子が 1週間ほど前から、小2の次女が風邪をひいていました。 熱はなく、咳が少し出るくらい。 様子を見ていたら、だんだん良くなって、 「治ったかな、よかった」と思っていたら—— 今度は小4の長男が咳をし始めました。 学校から帰ってきたときはそこまででもなかったのに、 夕方5時を過ぎた頃から咳が増えてきた。 「病院に行った方がいいかな」と思ったときには、 もう受付が終わる時間。 子どもが3人いると、 一人治って安心した頃に次の子へ——という展開が よくあります。 子育ての気づき・日常

「よかった」と思ったら、今度は次の子が

1週間ほど前から、小2の次女が風邪をひいていました。

熱はなく、咳が少し出るくらい。
様子を見ていたら、だんだん良くなって、
「治ったかな、よかった」と思っていたら——

今度は小4の長男が咳をし始めました。

学校から帰ってきたときはそこまででもなかったのに、
夕方5時を過ぎた頃から咳が増えてきた。

「病院に行った方がいいかな」と思ったときには、
もう受付が終わる時間。

子どもが3人いると、
一人治って安心した頃に次の子へ——という展開が
よくあります。

この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
「子どもが順番に体調を崩すとき」に親が大切にしていることを考えます。


子育てあるある「風邪リレー」の現実

「治ったと思ったら次の子へ」のサイクル

子どもが複数いるご家庭では、
「一人が治ったら次の子に移る」という風邪リレーが
定番のエピソードになっていると思います。

一人目が治って一息ついたところで、
「あれ、また誰かが…」という展開。

「また……」とため息が出ることもありますが、
「子育てあるあるすぎる」と思うと、
笑えてくることもあります(笑)

「夕方5時の判断」という毎回の難問

子どもの体調が気になり始めるタイミングが、
なぜか夕方5時前後のことが多い。

「病院に行くべきか、様子を見るか」という判断が、
ちょうど受付終了の時間帯に重なる。

「今日は様子を見よう」と決めると、
夜に少し悪化して「やっぱり行けばよかったかな」と思う。

逆に「行こう」と決めると、
翌朝けろっとしていたりする。

この判断は、何年子育てしていても
なかなか慣れないものです。

「翌朝の病院」という選択

今回は昨夜様子を見て、今朝病院へ連れて行く選択をしました。

「夜の間に急変していないか」という不安と、
「少し落ち着いているなら翌朝でいいかな」という判断が
交差する中での選択です。

これは「正解」がある判断ではなく、
その夜の子どもの状態と、
親の直感と経験で決めていくものだと思っています。


アドラー心理学が教える「共同体感覚」と子どもの回復

「見ていてくれる人がいる」という安心感

アドラー心理学の「共同体感覚」——
「自分はここにいていい、見ていてくれる人がいる」——は、
体調が悪いときに特に大切になります。

子どもが体調を崩したとき、
「ちゃんと見ていてくれる人がいる」という安心感が、
回復を支えていきます。

「大丈夫かな」と気にかけてもらえている、
「今日どうかな」と確認してもらえている——

この「見ていてもらえている」という感覚が、
子どもにとっての「ここは安全な場所だ」という安心につながります。

「様子を見る」という積極的な関与

「様子を見る」という言葉は、
「何もしていない」ように聞こえることがあります。

でも実際は、
「今この子の状態がどうか」を継続的に観察して、
「いつ動くか」を判断し続けている
非常に積極的な関与です。

「熱はどうか」「咳の頻度はどうか」「顔色はどうか」「食欲はどうか」

この観察の積み重ねが、
「今日は様子見」「今朝は病院」という判断を支えていきます。

「また今日も見ている」という継続の力

一人の子が体調を崩している間、
もう一人の子も気にしながら、
家全体を見続けている。

「また今日も見ている」という継続が、
子どもにとっての「ここは安心できる場所」を育てていきます。

大げさな声かけも、特別なことも必要なく、
「ただ見ている」という日常の積み重ねが、
家族という共同体の安心感の土台になっています。


3人いるからこその「見守りの難しさ」

同時に全員を見ていられない

子どもが3人いると、
全員を同じ精度で見続けることはできません。

具合が悪い一人を特に気にしながら、
残りの二人も「大丈夫かな」と気にかけている。

この「いくつかの心配を同時に抱えている」状態が、
多子育児の日常です。

「一人が治った安堵感」と「次の不安」の交差

「治ったかな、よかった」という安堵と、
「あ、次の子が…」という不安が
ほぼ同時にやってくることもある。

喜んでいる間もなく次に移行する感じが、
しんどい面もあるけれど、
これが「3人いる日常」でもあります。

「一人ひとりを見ている」という感覚を保つ

具合が悪い子が出たとき、
「誰が何日目で、今どういう状態か」を
把握し続けていることが、
子どもへの「ちゃんと見ていてくれている」という
安心感につながります。

「うちの中で誰一人、親の目から外れていない」
という状態が、
家族の共同体感覚を支えていきます。


「子育てあるある」を笑えることの大切さ

笑えることが余裕の証

「一人治ったら次の子へ、また次の子へ……子育てあるあるすぎて笑える」

この「笑える」という感覚が、
親の余裕のバロメーターでもあります。

しんどいけど笑える。
大変だけど笑える。

この「笑える余裕」があるときは、
子どもたちを見る目も少し優しくなれる気がします。

「あるある」として共有することの安心感

「うちもそういう展開になる(笑)」という
他の親御さんとの共感が、
「自分だけじゃない」という安心につながります。

「うちだけこんなに大変なのかな」ではなく、
「みんな同じような経験をしているんだ」という感覚が、
子育ての孤独を和らげてくれます。


「また今日も見ている」が家族の安心をつくる

一人治って安心したら、今度は次の子が——

この「風邪リレー」は、
多子育児の定番あるあるです。

「夕方5時の判断」に毎回悩みながら、
「様子を見て、翌朝病院へ」という選択をしながら、

「また今日も見ている」という積み重ねが、
子どもたちにとっての「家が安心な場所」をつくっていきます。

アドラーが言う「共同体感覚」——
「見ていてくれる人がいる、ここにいていい」——は、
こういった日常の「見守り」の中に育まれています。

長男、早く元気になりますように🙏


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