「人生ゲーム欲しい😭」と泣いた娘
昨日は雨の日でした。
家で何をしているのかなと思ったら、
娘2人で人生ゲームのようなすごろくを手作りしていました。
しかも、かなり本格的。
スマホで人生ゲームのボードを見ながら、
マスを作って、イベントを考えて、
細かいところまで再現しようとしている。
でもだんだん作るのが大変になってきて、
「もう無理……」となり、
最後は「人生ゲーム欲しい😭」と泣いてしまいました。
最初は「そこまで欲しかったのか(笑)」と思いましたが、
よく考えると少し見え方が変わりました。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
「子どもの『欲しい』の裏側にあるもの」を考えます。
「人生ゲームを手作りしようとした」という事実
「作ろう」という発想が生まれた理由
「人生ゲームが欲しい」なら、
まず「お父さん、人生ゲーム買って」と言いそうなものです。
でも娘2人がとった行動は「自分たちで作る」でした。
「作ろう」という発想が最初に来たということは、
「すぐに欲しい」という衝動より、
「やりたい」という動機の方が強かったのかもしれない。
「かなり本格的」に作ろうとした
スマホで本物のボードを参照しながら、
マスを作り、イベントを考え、細かく再現しようとした。
これはかなりの労力と集中力が必要な作業です。
「それだけ本気でやりたかった」ということが、
この行動の規模から伝わってきます。
「無理」という限界と「欲しい😭」という涙
自分たちで作ることへの限界を感じたとき、
「人生ゲーム欲しい」という言葉が出てきた。
これは「ゲームが欲しい」という欲求より、
「やりたいけどできない」という悔しさの方が
大きかったかもしれない。
「欲しい」という言葉の形を取りながら、
その奥に「やりたかったのに」という気持ちが詰まっていた。
アドラー心理学が教える「目的論」と子どもの感情
「なぜそうしたか」より「何をしたかったか」
アドラー心理学の「目的論」では、
「なぜそうしたか(原因)」より
「何をしたかったか(目的)」に注目します。
「なぜ泣いているのか」→「欲しいから」という原因論より、
「何をしたかったのか」→「一緒にやりたかった」という目的論。
この視点の転換が、
子どもの「欲しい」という言葉の奥を見る助けになります。
「楽しかった体験を再現したかった」という目的
以前、友達と人生ゲームで遊んで、
すごく楽しかった体験があった。
その楽しさを、今度は家族とも共有したかった。
「人生ゲームが欲しい」という言葉の目的は、
「ゲームを所有すること」ではなく、
「あの楽しかった体験を家族とも体験すること」だったかもしれない。
「泣く」ことも目的がある
泣くことには、
「感情を表現する」という機能があります。
「人生ゲームが欲しくて泣く」は、
表面的な読み方です。
「やりたかったのに、できなくて悔しい」
「あの楽しさを家族と共有したかったのに、できなかった」
こういった感情が「涙」という形で表れていたかもしれない。
「泣く理由の表面」だけでなく、
「泣く理由の裏側」を想像することが、
子どもへの理解を深めてくれます。
アドラー心理学が教える「共同体感覚」と「楽しさの共有」
「楽しかった体験を誰かと共有したい」という感覚
アドラー心理学の「共同体感覚」——
「自分はここにいていい、つながっている」——は、
「楽しかった体験を誰かと共有したい」という
気持ちの中にも現れます。
「友達と楽しかったあの体験を、今度は家族とも」——
この気持ちは、
「楽しさをつながりの中で分かち合いたい」という
共同体感覚の表れです。
「友達と」から「家族と」への広がり
「友達と楽しかった体験を家族とも」という発想は、
「友達という共同体」と「家族という共同体」を
つなごうとする動きでもあります。
「友達と楽しかったから、家族にも教えたい・一緒にやりたい」という
気持ちが、二つの共同体をつなごうとしている。
これは子どもの共同体感覚が、
家族の外へ広がっている証拠でもあります。
「一緒に楽しむ」ことへの欲求
「人生ゲームが欲しい」の本当の目的が
「一緒に楽しみたい」だとしたら、
それは「物への欲求」より「体験への欲求」であり、
「一人で持ちたい」より「みんなで楽しみたい」という
共同体感覚の表れです。
子どもの「欲しい」が「体験への欲求」から来ているとき、
その欲求はとても豊かなものだと思います。
「欲しい」の裏側を知ると子どもの見方が変わる
最初の見え方と、背景を知った後の見え方
最初:「人生ゲーム欲しいと泣いた(笑)そこまで欲しかったのか」
背景を知った後:「友達と楽しかったから家族ともやりたかった。
自分たちで作ろうとするほど本気だったんだ」
同じ出来事でも、背景を知ると見え方がまったく変わります。
「欲しいと泣いているわがままな子ども」ではなく、
「楽しかった体験を家族と共有しようとした子ども」として見える。
「欲しい」の言葉の裏を想像する習慣
子どもの「欲しい」という言葉を聞いたとき、
「なぜ欲しいのか」より
「これで何をしたいのか・何を実現したいのか」と
想像してみる。
「物が欲しい」から来ているのか、
「体験がしたい」から来ているのか、
「誰かと一緒にやりたい」から来ているのか。
この「欲しいの奥」を想像することが、
子どもへの理解の深さを変えていきます。
「楽しかった体験を教えてくれた」と受け取る
「人生ゲームが欲しい」という言葉の背景に、
「友達と楽しかった体験」があった。
「それ、教えてくれてありがとう」という受け取り方が、
「友達とそんなに楽しかったんだね」という
共感の言葉につながっていきます。
あの涙、ちょっと違って見えてきた
「人生ゲーム欲しい😭」と泣いた娘。
最初は「そこまで欲しかったのか(笑)」でしたが、
背景を知ったら見え方が変わりました。
友達と楽しかった体験を家族とも共有したくて、
自分たちで作ることまで試みた。
その涙は「欲しいのに買ってもらえない涙」ではなく、
「楽しさを家族と分かち合いたかった涙」だったかもしれない。
アドラーが言う「共同体感覚」——
楽しさをつながりの中で共有したい——が、
あの手作りすごろくの試みの中に詰まっていた。
そして、なんだか人生ゲームを一緒にやりたくなってきた(笑)🎲


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