「今日も行ってくるね!」が娘の放課後になっている
小2の娘は、隣に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんが大好きです。
そして、飼っているチワワも大好き🐶
お姉ちゃん(小6)とお兄ちゃん(小4)は、
放課後になると学校の友達と遊びに行くことが増えました。
でも小2の娘は、近所に同学年の子が少ないこともあって、
まだ放課後に友達と遊ぶ機会はそれほど多くありません。
だからよく、おじいちゃんおばあちゃんの家へ。
お手伝いをしたり、一緒に遊んだり、チワワの散歩へ行ったり
「今日も行ってくるね!」と嬉しそうに出かけていく姿を見ていたら、
「これも娘にとって、大切な放課後なんだな」と思いました。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
「祖父母と過ごす時間」が子どもの中に育てているものを考えます。
「友達との放課後」だけが放課後じゃない
「放課後」の多様な形
「放課後に友達と遊ぶ」という体験は、
子どもの成長にとって大切です。
でも「友達との時間」だけが
子どもの世界を広げるわけではない。
おじいちゃんおばあちゃんの家でお手伝いをすること、
一緒にテレビを見ること、
チワワの散歩に連れて行ってもらうこと
これも立派な「放課後の体験」です。
「友達と遊んでいないから」「一人でいるから」ではなく、
「誰と、どんな時間を過ごしているか」で
放課後の豊かさは変わってきます。
「近所に友達が少ない」という環境の中で
近所に同学年の子が少ない環境では、
放課後に友達と遊ぶ機会が限られることがあります。
「もっと友達と遊べたら」と感じることもあるかもしれない。
でも、その環境の中で自然と生まれた
「おじいちゃんおばあちゃんの家が放課後の行き先」という形が、
実は娘にとってとても豊かな体験になっているのかもしれない。
「ないもの」を嘆くより、
「あるもの」の中にある豊かさを見つけていく
これが、今の娘の放課後の姿から学んだことです。
「行き先がある」という安心感
「今日も行ってくるね!」と嬉しそうに出かけていく娘の姿には、
「行く場所がある」「迎えてくれる人がいる」という
確かな安心感があります。
「どこへ行こうか」と迷う必要がなく、
「行けば必ず受け入れてもらえる」という場所があること
この「居場所の確かさ」が、
子どもの安心感の基盤になっています。
アドラー心理学が教える「共同体感覚」と祖父母との時間
「共同体感覚」とは何か
アドラー心理学の「共同体感覚」とは、
「自分はここにいていい、誰かとつながっている」という感覚です。
この感覚は、友達との間だけで育つものではなく、
家族、親、祖父母、近所の大人
「様々な人とのつながり」の中で育まれていきます。
おじいちゃんおばあちゃんの家で過ごす時間は、
この共同体感覚を育てる、
特別な場のひとつです。
「役に立てる」体験が共同体感覚を育てる
娘がおじいちゃんおばあちゃんの家でお手伝いをすること
「手伝ってくれてありがとう」という言葉が、
「自分はここで役に立てる」という感覚を届けます。
アドラーが言う「貢献感」
「自分がいることで誰かの役に立っている」は、
共同体感覚の中核です。
友達と遊ぶ楽しさとは少し違う、
「役に立てた」という充実感が、
祖父母との時間の中にあります。
「親以外の大人に頼れる」という経験
おじいちゃんおばあちゃんに甘えたり、
一緒に何かをしたり、話を聞いてもらったり
「親以外の大人に頼れる」「親以外の大人と関われる」という経験は、
「世界には自分を受け入れてくれる大人がいる」という
安心感の広がりにつながります。
「親だけが頼れる大人」より、
「いろんな大人が自分の周りにいる」という感覚が、
子どもの共同体感覚をより豊かにしていきます。
チワワとの時間が育てるもの
チワワの散歩に行く、一緒に遊ぶ
動物との関わりの中にも、
「世話をする」「一緒にいる」「喜ばれる」という
共同体感覚につながる体験があります。
「チワワが喜んでくれた」という体験が、
「自分がいることで誰かが嬉しくなる」という
貢献感を静かに育てていきます。
「祖父母と過ごす時間」が育てるもの
「生きてきた時間」に触れる体験
おじいちゃんおばあちゃんと過ごす時間には、
「長く生きてきた人の時間」が流れています。
昔の話を聞いたり、
昔のやり方を教えてもらったり
「自分の生きている時間より長い時間を生きてきた人」と
関わることは、
子どもの視野を静かに広げていきます。
「世界はもっと長く続いてきた」という感覚が、
子どもの中にゆっくりと根づいていく。
「ゆっくりした時間」の豊かさ
祖父母と過ごす時間は、
友達と遊ぶ時間とは少し違うテンポを持っています。
急がなくていい、
急かされない、
ゆっくり話を聞いてもらえる
この「ゆっくりした時間」の中で、
子どもは違う種類のくつろぎを体験します。
友達との間では生まれない、
「急がなくていい安心感」が、
祖父母との時間にはあります。
「無条件に受け入れてもらえる」という経験
祖父母の孫への眼差しには、
「ただそこにいるだけでいい」という
無条件の受容があることが多い。
「できた」「できなかった」ではなく、
「来てくれた」だけで喜んでもらえる
この「無条件に受け入れてもらえる」という体験が、
子どもの自己肯定感の土台に静かに積み重なっていきます。
「隣に住んでいる」という環境の豊かさ
気軽に行き来できる距離の特別さ
「隣に住んでいる」という環境が、
「気軽に行き来できる」という特別さを生んでいます。
「特別な日」だけでなく、
「今日も行ってくるね」という日常の一部として
おじいちゃんおばあちゃんの家がある
この「日常の中にある祖父母との時間」が、
関係の深さを育てていきます。
「お互いの日常」に入れる関係
隣に住んでいるからこそ、
「おじいちゃんの日常」「おばあちゃんの日常」の中に
娘が入っていける。
「特別なお客さん」としてではなく、
「日常的にいる子」として受け入れてもらえる関係が、
より深い共同体感覚を育てていきます。
「世代を超えたつながり」の豊かさ
小2の娘とおじいちゃんおばあちゃんとの間には、
世代を超えた豊かなつながりがあります。
同世代の友達との間では生まれない、
「年上の人から見てもらえる」という体験
この世代を超えたつながりが、
子どもの共同体感覚をより立体的にしていきます。
「親以外の大人と過ごす時間」を大切に
「今日も行ってくるね!」と嬉しそうにおじいちゃんおばあちゃんの家へ向かう娘の姿が、
「友達との時間だけが子どもの世界を広げるわけじゃない」と教えてくれました。
お手伝い、一緒に遊ぶ、チワワの散歩
その時間の中に、アドラーが言う「共同体感覚」の土台が
静かに育まれています。
「役に立てた」という貢献感、
「親以外の大人に受け入れてもらえる」という安心感、
「ゆっくりした時間の中でくつろげる」という体験
これらが積み重なって、
「自分はどこにいってもいい、誰かとつながっている」という
共同体感覚になっていきます。
親以外の大人と過ごす時間を、
大切にしてほしいな、と思います😊🍡


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