「うん」とだけ言って戻った娘
小6の娘に「算数、見て」と言われた夜がありました。
そのとき、頭の中は別のことでいっぱいでした。
「今は無理。また今度ね」
娘は「うん」とだけ言って、部屋に戻りました。
怒ってもいない。泣いてもいない。
なのに、その後ずっと残りました。
「ちょっとだけ止まって、横に座ればよかった」と。
この記事では、アドラー心理学の「今ここ」という視点から、
「うまく関われなかった夜」をどう受け取るか、
そして「今日」に何ができるかを考えます。
「うん」という一言が残り続けた理由
怒ってもいない、泣いてもいない——だから余計に
娘が怒ったり泣いたりしていたら、
「ちゃんと向き合わなければ」という気持ちが出てきたかもしれない。
でも娘は「うん」とだけ言って戻った。
静かな「うん」だったから、
余計に残り続けました。
「傷ついているんじゃないか」でも「怒っているんじゃないか」でもなく、
「受け入れてくれた」という娘の姿が、
自分の中に引っかかり続けた。
「子どもは頼れた、応えられなかったのは自分」
このとき気づいたことがあります。
娘はちゃんと「算数、見て」と言えた。
頼ることができた。
頼る相手として自分を選んでくれた。
でも応えられなかったのは、自分でした。
「子どもは正しくできていた。できなかったのは自分」という
認識が、あとからじわじわ届いてきました。
これは自分を責めるためではなく、
「何が起きていたか」を正確に見るための認識です。
「残る」ということは、大切にしたかったということ
「残る」という感覚には、意味があると思います。
「どうでもよかったら残らない」。
「ちゃんとしたかった」という気持ちが自分の中にあるから、
「できなかった夜」が残り続ける。
この「残る感覚」は、
自分がまだ「良い親でいたい」という気持ちを
持っている証拠でもあります。
アドラー心理学が教える「今ここ」と不完全な親
「昨日できなかった」を悔やみ続けることより
アドラー心理学の「今ここ(Here and Now)」という視点では、
「昨日できなかったこと」を悔やみ続けることより、
「今日の自分が何をするか」に意識を向けることを大切にします。
「あのとき横に座ればよかった」という後悔は、
「昨日の自分への批判」であり続けます。
でもその批判は、娘に届きません。
「昨日の算数、一緒に見ようか」という今日の言葉だけが、
娘に届きます。
「完璧な親」を目指す必要はない
アドラー心理学では、
人間は「不完全であることが当然」であるという
前提に立ちます。
「いつも完璧に子どもの要求に応えられる親」は存在しない。
余裕がない夜がある。
頭がいっぱいの夜がある。
うまく関われない夜がある。
それは「悪い親」だからではなく、
「人間だから」です。
「不完全な自分を責め続けること」より、
「不完全なまま、今日を届けること」を選ぶ。
これがアドラーの「今ここ」の実践です。
「勇気づけ」は自分自身にも
アドラーが言う「勇気づけ」——
取り組みを認め、前に向かう力を育てること——は、
子どもだけでなく、自分自身にも使えます。
「昨日はできなかったけれど、今日また向き合おうとしている自分」を
認めること。
「やり直せると思っているから、今日声をかけようとしている」という
自分の姿勢を、勇気づけとして受け取ること。
「完璧にできなかった夜があった」ことより、
「次の日に自分から声をかけようとしている」ことの方が、
長い目で見て大切だと思います。
「今は無理」という夜が生まれる理由
親にも「いっぱいの夜」がある
仕事のこと、家のこと、体のこと、将来のこと。
親の頭の中にも、さまざまなことが詰まっています。
「今は無理」という言葉が出てしまうとき、
その背景には「今、余裕がない状態」があります。
これは責められることではなく、
人間として当然のことです。
「今は無理」が積み重なると何が起きるか
ただ、「今は無理」が積み重なっていくと、
子どもの中に「頼りにくい」という感覚が生まれていくことがある。
「聞いても無理と言われるかもしれない」という
経験が積み重なると、
次第に「頼らなくなっていく」ことがある。
小6の長女が「算数、見て」と言えたことは、
「まだ頼れる」という感覚が残っているということです。
それは大切にしたいと思います。
「余裕をつくること」も親の課題
「うまく応えられない夜」が増えているなら、
それは「余裕をつくること」が親の課題になっているサインかもしれません。
機嫌よく子どもに向き合える自分のために、
何をするか。
「子どもに応えられる自分」を保つことも、
子育ての一部です。
「昨日の算数、一緒に見ようか」という一言
昨日を「取り返す」ためではない
「昨日の算数、一緒に見ようか」という言葉は、
昨日の夜を取り返すためではありません。
昨日はできなかった。
それは変えられない。
でも「今日の自分」は、
「昨日できなかったこと」を知っている。
だから今日、自分から声をかける。
これは「取り返し」ではなく、
「今日を届けること」です。
「自分から言う」という選択
子どもから「また見て」と言ってくれるのを
待つのではなく、
自分から「一緒に見ようか」と言う。
この「自分から」という選択が、
「昨日は応えられなかったけれど、今日はここにいるよ」という
メッセージを、言葉より先に届けます。
「それだけでいい」ということ
「昨日の算数、一緒に見ようか」——
それだけでいい。
大げさな謝罪も、長い説明も、いらない。
「今日、横に座る」という行動が、
昨日の夜より大切なことを伝えてくれます。
親にも、そんな夜がある。大切なのは「今日」
「算数、見て」という娘の一言に、
「今は無理」と返してしまった夜。
怒りもしない、泣きもしない「うん」が、
あとからずっと残り続けた。
子どもは頼れた。
応えられなかったのは、自分。
でも「残る」ということは、
「ちゃんとしたかった」という気持ちが自分の中にある証拠でもある。
アドラーが言う「今ここ」——
昨日を悔やむより、今日に向かう——の実践は、
「昨日の算数、一緒に見ようか」というひと言から始まります。
親だって、完璧じゃない。
そんな夜があっていい。
大切なのは、次の「今日」に何をするか、です。


コメント