「頑張れ」より「一緒にやろう」
子どもには「勉強してほしい」「運動してほしい」「いろんなことに挑戦してほしい」と思います。
でも、ふと思いました。
子どもからしたら、
「パパやママにも一緒にやろうよ」なのかもしれない。
「やれ」と言う側にいるだけの親より、
「一緒にやっている」親の姿の方が、
子どもの「やってみよう」を育てるのかもしれない。
そして考えてみれば、
親も子どもが生まれた日から「親という初めてのこと」に
挑戦し続けています。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」と「勇気づけ」という視点から、
「頑張れ」より「一緒にやろう」が子どもに与えるものを考えます。
「頑張れ」と「一緒にやろう」の違い
「頑張れ」は距離がある言葉
「頑張れ!」という言葉は、
応援の言葉です。
でもこの言葉には、
「頑張る側」と「見ている側」という
距離があります。
「あなたが頑張るんだよ」という構造が、
言葉の中に入っている。
この距離が、
「自分だけが頑張らなきゃいけない」という
孤独感につながることがあります。
「一緒にやろう」は隣に来る言葉
「一緒にやろう」という言葉は、
距離をなくします。
「自分だけじゃなく、一緒にやる人がいる」という感覚が、
「やってみよう」という動機を育てます。
アドラーが言う「共同体感覚」
「自分はここにいていい、つながっている」は、
「一緒にやっている」という体験の中で育まれます。
「一緒にやろう」は、
共同体感覚を生む言葉です。
「親の背中」より「親の横顔」
「親が頑張っている背中を見て、子どもが育つ」という
表現があります。
でも「背中」は、向こうを向いている姿です。
「横顔」は、隣にいる姿。
「子どもに向けた背中」より、
「子どもの隣にいる横顔」の方が、
子どもに「一緒にいる感覚」を届けます。
「一緒にやろう」は、
「背中」から「横顔」へと親の立ち位置を変えてくれる言葉です。
親だって「初めてのことに挑戦中」
子どもが生まれた日から「親という挑戦」が始まった
子どもが「初めてのことに挑戦している」のと同じように、
親も子どもが生まれた日から
「親」という初めてのことに挑戦しています。
初めての子育て。
初めての反抗期。
初めての受験。
初めての「友達のこと」。
子どもの成長の節目ごとに、
親も「初めて」に向き合っています。
正解が分からないまま選んでいるのは、同じ
子どもが「どうすればいいか分からない」と悩みながら
前に進んでいるのと同じように、
親も「これでいいのかな」と思いながら、
今日の選択をして、明日の選択をしている。
「正解が分からないまま進んでいる」という状況は、
子どもも親も、変わりません。
この「同じ立場にいる」という感覚が、
「一緒にやろう」という言葉の土台になります。
「親だから知っている」ではなく「一緒に考えている」
「親だから正解を知っているはず」という
前提を手放したとき、
「一緒に考えよう」「一緒にやってみよう」という
言葉が自然に出てきます。
算数を一緒に解説で読んだ夜。
YouTubeで折り紙の作り方を一緒に見た日。
ゲームの話を「どういうゲームなの?」と聞いてみた時間。
「知っているから教える」ではなく、
「一緒に知ろうとする」
この姿勢が「一緒にやろう」の実践です。
アドラー心理学が教える「勇気づけ」と「一緒に」の力
「勇気づけ」は「一緒にいること」でも届く
アドラーが言う「勇気づけ」
取り組みを認め、力を引き出すことは、
言葉だけで届くものではありません。
「一緒にやっている」という事実そのものが、
子どもへの勇気づけになります。
「親も一緒にやっているんだ」という感覚が、
「自分もやってみよう」という動機につながっていく。
「失敗を見せる」という勇気づけ
「一緒にやろう」と言うとき、
親も失敗することがあります。
算数の解説を読んでも分からなかった(笑)
新しいことに挑戦して、うまくいかなかった。
でもこの「親が失敗する姿」が、
子どもに「失敗しても大丈夫だ」というメッセージを
言葉より強く届けます。
「失敗を見せること」も、
「一緒にやろう」の大切な部分です。
「成長途中の親」という正直さが子どもに届く
「親だから完璧であるべき」という前提を手放して、
「まだまだ成長途中」と正直に伝えること
これが子どもに「完璧じゃなくていい」という
許可を届けます。
「完璧な親を見ている」より、
「成長途中の親と一緒にいる」方が、
子どもにとって「自分もこのままでいい」という安心感になります。
「一緒にやろう」の具体的な形
一緒に本を読む
「本を読みなさい」ではなく、
「この本、面白そうだから一緒に読まない?」と誘う。
親が本を読んでいる姿を見ているより、
「一緒に読んでいる時間」の方が、
子どもにとって「本を読むことの豊かさ」が身近になります。
一緒に体を動かす
「運動しなさい」ではなく、
「ちょっと一緒に走ってみない?」と誘う。
習い事の送り迎えの間、
公園でちょっとキャッチボールをする。
「一緒に体を動かした記憶」が、
「また動いてみよう」という動機につながっていきます。
一緒に新しいことをやってみる
「新しいことに挑戦してほしい」と思うなら、
親自身も何か新しいことをやってみる。
「パパ、これ初めてやってみたんだけど、
うまくいかなかった(笑)」という話が、
子どもの「初めてのこと」への姿勢を変えることがある。
「知らない」を一緒に調べる
「分からないから教えて」と子どもに言われたとき、
「知らないけど、一緒に調べてみよう」と言える。
「親が全部知っている」より、
「一緒に知ろうとする」関係の方が、
「分からないことは調べればいい」という
学ぶ姿勢を子どもに伝えていきます。
子どもの横で、親も成長途中
「勉強してほしい」「挑戦してほしい」
その言葉の裏に、「一緒にやろうよ」という子どもの声があるかもしれない。
親だって子どもが生まれた日から、
「親という初めてのこと」に挑戦しています。
正解が分からないまま選んで、
迷って、また考えて、また選んで。
「頑張れ!」と言うより、
「一緒にやってみよう」と言える親でいたい。
アドラーが言う「共同体感覚」
「一緒にいる、つながっている」は、
「一緒にやる」という日常の中に育まれていきます。
子どもが成長している横で、
親もまだまだ成長途中。
そう思うと、なんだか気が楽になってきます🍡


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