急遽パパが遊び相手になった日
子どもが友達と児童館で遊ぶ約束をしていて、
ちょうど用事もあったので車で送ることにしました。
ところが、友達が来られなくなってしまって
急遽、パパが遊び相手になりました(笑)
バスケットボール、卓球、待ち時間に本。
一緒にいながら「いつも友達とも、こんな感じで過ごしているのかな」と思いました。
普段は送り迎えで終わっていて、
中でどんなふうに過ごしているかは見えていない。
その「見えない時間」を、
今日はちょっとだけ覗かせてもらった気がしました。
この記事では、アドラー心理学の「共同体感覚」という視点から、
「子どもの見えない世界」をちょっとだけ知ることの豊かさを考えます。
「送り迎え」だけでは見えないもの
親が見えているのは「出発」と「帰還」だけ
「行ってらっしゃい」と送り出して、
「おかえり」と迎える。
この間に子どもが何をしていたか
親には基本的に見えていません。
「今日どうだった?」と聞いても、
「楽しかった!」「別に」で終わることも多い(笑)
子どもの日常の多くは、
親の視野の外にあります。
「見えない時間」に子どもは育っている
でも「見えない時間」に、
子どもはいろんなことを体験しています。
友達とどんな話をするか。
何かうまくいかないとき、どう対処するか。
待ち時間に何を選んで、どう過ごすか。
親が見ていない場所でこそ、
「自分で判断する力」「友達との関わり方」が育っていきます。
「見えていない」ことは、
「何も起きていない」ではなく、
「自分の力で過ごしている」ということです。
「見えない」からこそ、たまに見えると新鮮
普段は見えていないからこそ、
「こんなふうに過ごしているのか」と知れたとき、
その発見が新鮮に届きます。
「本を読んで待っているんだ」
「バスケも卓球もやるんだ」
「こんな感じで遊ぶ場所なんだ」
「子どもの日常の一片」を知ることが、
子どもをより立体的に受け取れる体験になります。
アドラー心理学が教える「共同体感覚」と「一緒にいること」
「同じ場所を共にする」という体験の価値
アドラー心理学の「共同体感覚」
「自分はここにいていい、つながっている」は、
「同じ場所を一緒に過ごす」という体験から育まれます。
「子どもが普段過ごしている場所に、一緒にいた」
この体験が、
「子どもの世界を知っている」という感覚をつくり、
「子どもとのつながり」を深めていきます。
「ハプニング」が生んだ「一緒にいる時間」
友達が来られなくなったのはハプニングでしたが、
それによって「普段は入れない子どもの場所に一緒にいられた」という
思いがけない時間が生まれました。
計画していた時間ではなく、
ハプニングが生んだ時間。
でもこういった「計画外の時間」が、
「一緒にいた」という記憶として残ることがあります。
子どもにとっても「パパと一緒に遊んだ日」として
記憶に残るかもしれない。
「子どもの場所」に入ることで見えるもの
子どもが普段遊んでいる場所に一緒に行くことで、
「この子はこういう場所で過ごしているんだ」という
具体的なイメージが生まれます。
「児童館で友達と遊んでいる」という言葉より、
「あのコートでバスケして、あの卓球台で遊んで、
待ち時間はあの本棚の本を読んでいるんだな」という
具体的な姿が想像できるようになる。
この「具体的に想像できる」ことが、
子どもへの理解の深さを変えていきます。
「いつも友達とも、こんな感じで」という気づき
「友達と遊ぶ姿」を想像できるようになった
「一緒にバスケをしながら、友達と笑い合っているのかな」
「卓球の番を待ちながら、どんな話をしているのかな」
「本棚でどんな本を手に取っているのかな」
一緒にいた体験が、
「友達と過ごす姿」の想像力を育ててくれます。
「友達と遊んでいる」という情報が、
より具体的なイメージとして受け取れるようになる。
「送り迎えの車の中」の会話が変わる
「今日どうだった?」という問いに、
「楽しかった」「別に」で終わっていた会話が、
「バスケ、今日も誰とやったの?」
「卓球、うまくなった?」
という具体的な問いかけに変わっていく。
「知っている場所」について話すことで、
会話の中身が変わります。
「見えない時間」への信頼が生まれる
「見えない時間」に子どもが何をしているか、
具体的に想像できるようになったとき、
「見えていないけど、ちゃんとやっている」という
信頼が生まれやすくなります。
「何をしているか分からない」より、
「あんな感じで過ごしているんだろうな」という
具体的なイメージが、「信じて待つ」力になります。
ハプニングが教えてくれたこと
「計画通り」より「予想外」の方が記憶に残ることがある
「友達と遊ぶ予定だったのに、パパと遊ぶことになった日」
計画通りでなかったこの日が、
「パパと一緒に行った日」として
子どもの記憶に残るかもしれない。
「計画した特別な日」より、
「ハプニングで一緒になった日」の方が
記憶に残ることがある
そんな不思議さがあります。
「ハプニングを楽しむ」という親の余裕
「友達が来られなくなった……仕方ない、じゃあ一緒に行こう」
という余裕が、この日の体験をつくりました。
「予定外は困る」ではなく、
「じゃあ一緒にやろう」と切り替えられる余裕
この余裕が、ハプニングを「思いがけない贈り物」に変えてくれました。
「子どもの場所に入ること」のこれから
今回の体験で、
「たまに子どもが普段いる場所に一緒に行く」という
時間を意識的に作ることの価値を感じました。
習い事の練習をちょっと見に行く。
放課後の公園にたまに顔を出す。
友達との遊び場所を一度一緒に行ってみる。
「子どもの日常の一片を知る」という体験が、
子どもとのつながりをより豊かにしていきます。
「見えない時間」をちょっとだけ見せてもらった日
友達が来られなくなって、急遽パパが遊び相手に。
バスケットボール、卓球、本を読んで過ごす待ち時間
「いつも友達とも、こんな感じで遊んでいるのかな」という気づきが、
子どもの「見えない時間」を少しだけ想像できる体験になりました。
アドラーが言う「共同体感覚」
「同じ場所にいる、一緒に過ごす」は、
「子どもの場所に一緒にいた体験」の中にも育まれます。
ハプニングが生んだ「思いがけない贈り物」
そう受け取れる余裕が、今日の自分にあったことも嬉しかった😊🍡


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