「分からない」と「できない」は違う|アドラー心理学×3児パパが考える最初の一段と子どもの自己効力感

「分からない」の裏に「できる」が隠れていた 小2の次女が算数の宿題を前に「分からない😭」と泣いていました。 一問だけ丁寧に解き方を説明して、「じゃあ次やってごらん」と言ったら—— あっさりできた(笑) 次の段階でまた「分からない」と来て、 また一問だけ一緒にやったら、その後はスラスラ。 「あれ?やっぱり分かってるじゃん(笑)」と思いました。 「分からない」と「できない」は、同じじゃないんですね。 子育ての気づき・日常

「分からない」の裏に「できる」が隠れていた

小2の次女が算数の宿題を前に「分からない😭」と泣いていました。

一問だけ丁寧に解き方を説明して、「じゃあ次やってごらん」と言ったら

あっさりできた(笑)

次の段階でまた「分からない」と来て、
また一問だけ一緒にやったら、その後はスラスラ。

「あれ?やっぱり分かってるじゃん(笑)」と思いました。

「分からない」と「できない」は、同じじゃないんですね。

この記事では、アドラー心理学の「自己効力感」という視点から、
子どもの「分からない」の正体と、
「最初の一段だけ一緒に登る」関わり方を考えます。


「分からない」と「できない」の違い

「分からない」は入り口が閉まっている状態

「分からない」という状態を、
「ドアが閉まっている」と例えてみます。

ドアの向こうには、実はちゃんとした部屋がある。
歩けるスペースもある。
でも最初のドアの開け方が分からないから、
「入れない」という状態になっている。

「分からない」は「できない」ではなく、
「入り口の開け方が分からない」状態なのかもしれない。

「できない」は道そのものがない状態

一方で「できない」は、
「ドアの向こうに道がない」状態です。

力そのものが育っていない。
理解の土台がまだできていない。

「分からない」と「できない」は、
見た目は似ていますが、
必要な関わり方が違います。

子どもの「分からない」はどちらか

泣きながら「分からない」と言っている子どもが、
「入り口が分からない状態(サポートで開く)」なのか、
「道そのものがない状態(もっと基礎から)」なのかを
見極めることが、関わり方の分かれ道になります。

今回の次女の「分からない」は、
一問一緒にやったら「あっさりできた」
これは「入り口が分からなかっただけ」でした。

「やっぱり分かってるじゃん(笑)」が、
その証拠です。


アドラー心理学が教える「自己効力感」と「一問だけ」の意味

「自分でできた」体験が次を育てる

アドラー心理学の「自己効力感」
「自分はできる」という感覚は、
「自分でやった」体験の積み重ねから育ちます。

「全部教えてもらった」では、
「教えてもらえれば分かる」という感覚は育ちますが、
「自分でできる」という感覚は育ちにくい。

「最初の一問だけ一緒にやって、残りは自分でやった」
この「残りは自分でやった」という体験が、
「自分でできた」という自己効力感を育てます。

「一問だけ」が絶妙な関わり方

「全部教える」と、子どもが自分でやる余地がなくなる。
「何も教えない」と、ドアが開かず止まり続ける。

「一問だけ一緒にやって、あとは任せる」
この「一問だけ」という関わりが、
「ドアを開けてあげながら、道は自分で歩かせる」
絶妙なバランスをつくります。

「入り口だけ一緒に入る」という関わり方の名前

この関わり方を言葉にするなら、
「入り口支援」と呼んでもいいかもしれません。

「最初の取っかかりだけ手伝って、あとは任せる」。

「全部手伝う」でも「全部放っておく」でもない、
「ちょうどいい関わり」の形です。


「最初の一段だけ一緒に登る」の実践

なぜ「最初の一段」だけでいいのか

階段を例にすると、
「最初の一段を一緒に登る」だけで、
子どもは「あ、こういう登り方なのか」と感覚をつかむことがあります。

「感覚をつかむ」と、
残りの段は自分で登れる。

「全部一緒に登る」必要はなく、
「最初の一段で感覚を伝える」だけでいい。

「一緒にやってごらん」という言葉のバトンパス

一問一緒にやった後、
「じゃあ次やってごらん」と言う。

このバトンパスが大切です。

「一緒にやって終わり」ではなく、
「一緒にやって→あとは任せる」という流れが、
「自分でやった」という体験を生みます。

「じゃあ次やってごらん」という一言が、
子どもに「自分の番だ」という感覚を届けます。

「スラスラできた」という確認

一問一緒にやった後、
「次の問題からスラスラできた」という状態が見えたとき、

「分からなかったのではなく、入り口が分からなかっただけだ」
という確認ができます。

「やっぱり分かってるじゃん」という気づきが、
「この子はできる」という信頼を深めてくれます。


「本当はもっとできるんじゃないかな」という視点

子どもの力を過小評価しないこと

子どもが「分からない」と言うとき、
「この子には難しすぎるのかな」と思いがちです。

でも「一問だけ」でスラスラ進んだ次女の姿は、
「この子の力を過小評価していたかもしれない」という
気づきでもありました。

「分からない」という言葉は、
「できない」のサインとは限りません。

「もしかして、もっとできるかもしれない」という
視点を持つことが、子どもの力を引き出す第一歩です。

「親バカ」という言葉の正体

「本当はもっとできるんじゃないかな」と思う気持ちを、
「親バカ」と呼ぶことがあります。

でもこの「親バカ」は、
「根拠なく過大評価する」ではなく、
「この子の力を信じたい」という感覚かもしれない。

「分からない→一問だけ→スラスラ」という体験が、
「この子にはこれだけの力がある」という
根拠のある信頼を育ててくれます。

「信じる」ことが「できる」を引き出す

アドラーが言う「勇気づけ」
子どもの力を信じて認めることは、
「この子はできる」という親の信頼から始まります。

「分からない」を「できない」と見るより、
「入り口が分からないだけかもしれない」と見る視点が、
子どもへの信頼の表れです。

この信頼が、
「じゃあ次やってごらん」という言葉を生み出し、
「スラスラできた」を引き出していきます。


「一問だけ」が子どもの「できた!」をつくる

「分からない」と「できない」は違う。

最初の一段だけ一緒に登ったら、
あとは自分で登れることもある。

「全部教えなきゃ」ではなく、
「入り口だけ一緒に入って、あとは任せる」

この「一問だけ」という関わり方が、
子どもの「自分でできた」という体験を守りながら、
「分からない」の壁を越えさせてくれます。

「本当はもっとできるんじゃないかな」
この視点が、子どもの力を引き出すことを、
次女が教えてくれました😂🍡


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