子どもの「好き」を信じて待つ子育て|幼稚園から諦めなかった息子のサッカーとアドラー心理学の内発的動機

夕暮れの校庭と少年サッカー 子育ての気づき・日常

「サッカーがしたい」という気持ちは、幼稚園から始まっていた

小4の息子が、少年団のサッカーチームに入っています。

入ったのは小3の時。でも息子が「サッカーがしたい」と最初に言ったのは、幼稚園の頃でした。

親の都合もあって、なかなか始めさせてあげられなかった。小学校に入っても、時々ぽつりと「サッカーがしたい」と言う息子。それでも親の腰はなかなか上がらなかった。

小3の時、初めて同じクラスになった友達からサッカーチームに誘われ、体験に行った息子は「このチームに入りたい!」と即決。そこから毎日がサッカー中心になりました(笑)

今回は、数年越しの「好き」がやっと実ったその経緯と、子どもの内発的動機について考えたことを書いていきます。

「サッカーがしたい」は、何年も消えなかった

息子がサッカーをやりたいと言い始めたのは幼稚園の頃でした。でもその時期は親の都合でどうしても始めさせてあげられなかった。

「もう少し待って」と伝えながら、時間が過ぎていきました。

小学校に入っても、息子は時々「サッカーがしたい」とぽつりと言いました。毎日しつこく言うわけでもなく、でも忘れてもいない。

そしてひとりでできることをしていた。放課後にボールを持って学校へ行き、上級生に混ざって遊ぶようになりました。チームに入っていないのに、自分でグラウンドへ向かっていた息子。今思うと、あれはすごいことだったなと思います。

「諦めない」とは、騒ぎ続けることじゃない

息子は一度も「もうサッカーはいい」とは言いませんでした。かといって毎日「いつ入れてくれるの?」と迫るわけでもなかった。

静かに、でも確かに「好き」でい続けた。

それが何年も続いた、ということです。

アドラー心理学で考える「内発的動機」とは

アドラー心理学では、人間の行動の原動力として「内発的動機」をとても重視します。

内発的動機とは、外側からの報酬や強制ではなく、自分の内側から湧いてくる「やりたい」「好き」という気持ちのことです。

これに対して、「褒められるからやる」「怒られないようにやる」「ご褒美があるからやる」は「外発的動機」です。

内発的動機が育つと、何が変わるのか

内発的動機から動く子どもは、誰かに言われなくても自分から行動します。失敗しても諦めにくい。困難にも自分の力で向き合おうとする。

逆に外発的動機だけで動いている子どもは、褒美がなくなった途端にやめてしまったり、言われないと動かなかったりすることがあります。

息子のサッカーへの気持ちは、まさに内発的動機でした。誰かに強いられたわけでも、ご褒美があったわけでもない。ただ「好きだから」続いていた気持ちです。

「好き」を持ち続けるために、親ができること

子どもが「やりたい」「好き」と言った時、親はどう関わればいいのでしょうか。

ぼくの経験から言うと、理想と現実のギャップを感じることもあります。「やらせてあげたい気持ちはあるけれど、今はちょっと難しい」という状況は、子育てをしていると少なくない。

だからこそ今回、息子の姿から学んだことがあります。

「今すぐ叶えること」だけが答えじゃない

親がすぐに行動してあげられなくても、子どもの「好き」が消えないこともある。

ただしそのためには、子どもの「好き」をきちんと受け止めてあげることが大切だとぼくは思っています。

「サッカーがしたいんだね。今はすぐには難しいけど、いつかきっとやらせてあげたい」という気持ちを伝えること。子どもの気持ちを否定せず、受け取ること。

それだけで、子どもの「好き」は細々とでも続いていける場合があります。

「好きなことを自分で探す力」を育てる

息子が放課後にひとりでボールを持って学校へ行ったのは、誰かに言われたからではありません。「サッカーができないなら、自分でできることをしよう」という、主体的な選択でした。

アドラーが大切にした「自己決定」の姿が、そこにあったように思います。

チームに入れなくても、ボールを蹴ることはできる。上級生と遊ぶことはできる。その「今できることをやる」という姿勢は、親が教えたものではなく、息子が自分で見つけたものでした。

子どもの「好き」は、親の心を動かす力を持っている

もうひとつ、今回気づいたことがあります。

息子の「サッカーがしたい」という気持ちが、最終的に親のぼくを動かした、ということです。

毎日しつこく言ったわけじゃない。泣いて訴えたわけでもない。でも折に触れて「やりたい」と伝え、自分でできることをやり続けた。

その積み重ねが、親の腰を上げさせた。

「伝え続けること」の静かな力

子どもが自分の気持ちを、感情的にではなく、でも消えずに伝え続けること。

それは「主張する力」ではなく、「自分の気持ちに正直でいる力」だとぼくは思います。

アドラー心理学では、人は「共同体の中で貢献したい」という欲求を持つと言います。子どもにとっての「家族という共同体」の中で、自分の気持ちを伝え、受け止めてもらえる経験は、深い意味での「つながりの感覚」につながるものだと思っています。

息子はあの何年かで、ただサッカーを待っていたのではなく、「自分の好きを信じて、静かに伝え続ける」ということを学んでいたのかもしれません。

子どもの「好き」を、信じて待つ

今回の気づきをまとめます。

・子どもの「好き」という内発的動機は、年単位で消えないこともある
・「すぐ叶えること」だけが親の答えじゃない。受け止めて、一緒に待つことも子育て
・子どもは「今できること」を自分で探す力を持っている。それを信じること
・子どもの「好き」は、静かに伝え続けることで、やがて親の心も動かす
・子どもの内発的動機を大切にすることが、自己決定感と自己肯定感の土台になる

今、息子はサッカーが大好きです。あの頃「待って」と言い続けたことが申し訳なくもありますが、その間も諦めなかった息子を、今はただ誇りに思っています。

子どもの「好き」は、本物でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

おだんごさんでした🍡

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